幸友23
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 右頁図Aは『吉田一穂の世界』・吉田美和子著/400頁に及ぶ大冊です(1998年/小沢書店刊)。ここでは全体を紹介できませんが、その書中にある小話・エピソードを掲載してみます。●吉田一穂のつながりから―。 友人・佐藤一英からの手紙(作品らしいもの)を読んで、一穂は「これは散文詩で、小説ではないよ。君は詩人だ。詩を書くべきだ。バカヤロウ、バカヤロウ、バカヤロウ」と激怒している。吉田一穂と佐藤一英は若い詩人の同志だったので、佐藤一英への警告だったのでしょう。大正期の日本社会では詩人は「貧乏」することであり「貧乏詩人」は「代名詞的存在」だったらしい。たとえば、草野心平、山之内獏(ばく)、金子光晴、吉田一穂たちが、戦後のラジオ番組で「貧乏座談会」をやっています。私は幼児でしたから、そのラジオを聞いた記憶はありませんが、日本が敗戦して物不足・食糧難・焼け跡が残っていた頃(注・暮しの手帖編集部の『戦争中の暮しの記録』1986年刊行・保存版)でうかがい知ることができます。 私の身体の内部には敗戦後10年、焼け跡の原風景が残っています。赤錆びた風景、コンクリートの崩れた断片、トタン板の仮小屋、代用食、水団(すいとん)、もんぺ、さつまいも、ゲートル(巻脚半)…さまざまな遺品が話題となったことでしょう。 そうだ!近時、『吉田一穂詩集』(岩波文庫刊)の中に『都市素描』・『故園の書』・『海の族』・『石と魚』など、原始的なコトガラを対象にした詩から宇宙観まで及ぶ詩まで、巾広い視野であったとおどろきました。北原白秋の作詩について― この道はいつか来た道、   ああ、さうだよ、 あかしやの花が咲いてる。 あの丘はいつか見た丘、   ああ、さうだよ、 ほら、白い時計台だよ。―これは私が少年期におぼえた白秋の「この道」の詩である。70年経て今も忘れることはない。名古屋の町を歩いて口遊んで帰る。 吉田一穂、北原白秋も同時代の近代的な詩人で、話題を呼んだ人たちです。とくに白秋さんは童謡集を多く作詩した人で、大正期から昭和初期にかけて目立ちます。『月と胡桃(くるみ)』の詩集は、その成果でしょう。一部を紹介させていただきました。後注●モデノロ交信録・モデルノロヂオはエスペラント語で「考現学」のこと。今和次郎(こん・わじろう)が大正期に始めた。考現学は考古学を裏返したような研究。現代の生活を考古学的に綿密な観察と採集をして記録する方法と言われる。くちずさ・・・・・・・・18

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