幸友23
18/32

ああ麗はしい距離(デスタンス)、つねに遠のいてゆく風景……悲しみの彼方、母への、捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)〈注・ピアノだけで強弱する音〉 この文は近代孤高の詩人とされる吉田一穂(よしだ・いっすい/1898~1973)の作品です。1898年と言えば明治31年、もりそば1銭5厘、コーヒーが2銭だった頃でした(『値段の風俗史』・朝日文庫刊)。吉田一穂氏については亀山巌(かめやま・いわお)さんと「モデノロ交信録」後注(手紙のやりとり)で一穂氏の名前を見た覚えがありましたが、直接、一穂氏に会うことはありませんでした。 「麗はしいデスタンス」の言葉づかいは、私自身が大学時代(1960年代)、学生たちで使っていました。が卒業が間近で、就職したり、新しい社会へ突入することで、デスタンスの精神をすっかり忘失。大学の校門前で友人たちと「じゃあ」と手を上げただけで簡単に別れてしまった。 卒業式らしい式典はなかった。と言うと、フシギな感じを抱く人もいるが、全国各地から集まった学生たちは生まれ育った故郷、生地へ帰る人、一方では新しい就職先、新しい居住地へ向かう学生たちが移動しています。つまり、この3月から4月はサヨナラ現象が目立つシーズンでもあります。 図Aをご覧ください。さよなら現象とデスタンス図A14岡本信也text by Shinya Okamoto うるさく17

元のページ  ../index.html#18

このブックを見る