幸友21
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菅江真澄という旅行家が「百臼の図」を書き残している。この人物、日本各地を行脚した風流人で『ひなの一ふし』という民謡集や『遊覧記』・『旅日記』等を記述。「木臼へ松」は津軽の旅先で発見したものらしい。 近代。昭和初期となって、今和次郎・吉田謙吉さんたちが『考現学採集』を始めた頃、土瓶に菊を植えた光景をスケッチしている(図Cの3)。こわれた土瓶、不用となった木臼を植木鉢の代用としている。貧乏くさい!と言ってしまえば、そのとおり。植栽にふさわしい植木の専用鉢を使用すればよいものを、菊に土瓶、松に臼である。盆栽なら盆栽鉢があるはず(盆栽の様式については別の機会で)、通常の用法にしたがうべし。 が然し、書棚をぼんやりながめていたら、侘び茶の本に出合った。『茶の文化史』村井康彦著・岩波新書1979年刊。以前、読んだこともあり、なつかしい書である。土瓶に菊、臼に松の取り合わせは茶の湯における「侘び」のココロではないか。都会に居住しながら閑居し、一服の茶を飲む。千利休さんの侘びの境地に接近する行動ではないか。不可思議な取り合わせを快感とする人びと。 他方、現在の日常生活ではペットボトルでお茶をガブ飲みする人、侘び茶の行動を「一笑スベシ」と思う人もいる。ある時はペットボトル、ある時は侘び茶で世間を語るのが現代なのであろうか。 菅江さんが活躍していた頃、享和年間の江戸の町で、花屋の店先に醤油樽へ柳の木を植えている話が『砂払』に出ている。花草木を桶・樽で実用するのはあたりまえだったらしい。現在、各地を歩いていると、ブリキの一斗缶を加工してチリトリやゴミ入れに使っている光景を見る。ここ、近年ではブリキの一斗缶は減少し、プラスチックのポリバケツ、プラ容器に変化しているが、以前はどこにでも、ブリキの缶を細工してチリトリやクズ入れに使っていた。その細工の仕方が人さまざまである(図D)。缶のどこを切り取るかによって、チリトリの形状がちがい、使い方に差異が出てくる。 ある時、町歩きする仲間と共同研究した折に、一斗缶であったものが、別の使い方に変化することを「転用のデザイン」と呼んで観察した。不用となった火鉢が植木鉢へ転用、日本の火鉢がアメリカで傘立てに転用され、李朝の皿が灰皿に使用、戦場の兵士が鉄かぶとを鍋に転用したり、薬きょう(真鍮製の小筒・弾丸)を加工してタバコのパイプに代用するとか、無用となった炊飯器に草花を植えたり、不用となった洗濯機に朝顔を植える。まさか、と思うような取り合わせがある。それの現物に出合ったり、写真・映像・スケッチで知った。詳細は紙巾が尽きたので省略させていただく。図D『転用のデザイン』B6判64頁・1989年刊・平田哲生・嶋村博・岡本信也著すがえますみももうすかたあんぎゃこんわじろうよしだけんきちひとわ16

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