幸友21
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漏らすだろう。また、特筆すべきはさまざまな技法だ。布を貼って焼成した素地をキャンバスに見立てて絵を描いた「タピストリー」や、肖像画を印刷した転写紙を使う「ポートレート」など、時代のニーズに合わせて変わっていくデザインも面白い。 2階の展示室では、有田焼、石目焼、九谷焼など、さまざまな産地ごとに分けられた輸出陶磁器を見ることができる。中でも、珍しいのはまとまった作品群の「隅田焼」だ。東京の隅田川沿いに窯を作ったことに由来するが、驚くべき点は何と言っても高浮彫と呼ばれるその独創的な意匠。見る人の目を楽しませてくれるそのデザインは、おそらく作り手である職人自身も楽しみながら作っていたのだろうと想像できる。顔の表情、貼り付けている螺鈿など、細部までじっくり見れば見るほど新しい発見があり、その発想の面白さに気付くはずだ。 ときは江戸末期、日米修好通商条約批准のため、幕府はアメリカへ使節団を派遣する。この時に日本の金を両替する仕事を引き受けたのが、ノリタケなどの森村グループの創業者である森村市左衛門だ。その時に貨幣の換金率が日本にとって非常に不利であったことに憤りを感じて、国外に流出した金を取り戻すには輸出貿易で外貨を稼ぐのが一番だと、本格的に陶磁器の輸出を始めた。それから百数十年の時が流れ、輸出目的で作られた陶磁器は、いま再び海を渡り日本へ戻ってきた。その作品の数々からは、妥協を許さない職人の技、国のために奔走した貿易商の情熱、そんな先人たちの使命感までも感じることができた。館長 鈴木 俊昭さん主な輸出品が生糸とお茶しかなかった時代に、陶磁器という工芸品を輸出品の大きな柱にした職人の技。日本の発展に大きく貢献した偉大な技をぜひここで感じてください。超技の世界―瀬戸焼・美濃焼・名古屋絵付など―明治・大正時代、驚くほどの技巧を凝らし多彩な装飾が施された陶磁器が制作され、海外へと輸出されました。特に、愛知、岐阜、三重の東海3県では、瀬戸焼や美濃焼、名古屋絵付、常滑焼、萬古焼など、様々な陶磁器が生み出され、当時の技術を結集させた器の数々は海を渡り好評を呼んで多くの人に愛好されました。本企画展では、明治・大正時代に瀬戸、美濃、名古屋で作られたやきものの他、東海地方の各産地で制作された陶磁器作品を紹介いたします。〒461-0004 名古屋市東区葵一丁目1番21号TEL.052-931-0006休館日:月曜日(祝・休日の場合開館、翌平日休館)、年末年始https://www.yokoyama-art-museum.or.jp/2019年1月11日(金)~5月19日(日)明治時代後期から大正時代の有田焼。龍の頭部や爪が浮彫で浮かび上がっている。繊細で華やかな凸盛が施された名古屋絵付けの花瓶。横山美術館企画展たかうきぼりらでんいちざえもん京都粟田焼の窯元、錦光山宗兵衛(七代)による作品。盛上技法の網文が美しい。コバルトのボディに金彩や金盛が見事なオールドノリタケ。14

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