幸友20
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 ライト兄弟が有人動力飛行に成功した1903年から僅か7年、日本でもフランスとドイツから購入した飛行機で初飛行を成功させています。1919年、私ども三菱重工業株式会社が名古屋で飛行機製造に着手すると、1921年には10式艦上戦闘機の初飛行に成功。1939年になると三菱製軍用機を改造した国産飛行機「ニッポン号」が、日本初となる世界一周を成し遂げています。このように、戦前の日本はヨーロッパとアメリカに並ぶ飛行機製造王国でした。戦前の三菱製飛行機で最も有名なのは、堀越二郎さんが心血を注いで設計した零式艦上戦闘機(零戦)で、1万機以上が製造されました。ところが、終戦を迎えるとGHQによって飛行機製造が禁止されたため、日本はヨーロッパとアメリカに大きく溝を開けられることになったのです。その後、日本航空機製造株式会社がプロペラ機の製造を始めたものの、多額の累積赤字で製造が中止されると、日本の航空機産業に50年の空白が生じることになりました。その空白を乗り超えて着手したのが、私どものMRJ(三菱リージョナルジェット)です。 現代の航空機産業は、大型機でハブ空港(拠点空港)を移動し、そこで小型機に乗り換えて各都市の空港へと行く“ハブ・アンド・スポーク”の考えで形成されています。自転車の車輪の中心部にあるハブ(車軸)と、そこから放射状に車輪へと伸びていくスポーク(輻)の形状に似ていることが“ハブ・アンド・スポーク”と呼ばれるゆえんです。ハブ空港間を結ぶ大型機は、アメリカのボーイングとヨーロッパのエアバスが独占し、スポーク部分をカバーするのがブラジル、カナダ、ロシア、中国の飛行機です。ここに日本のMRJが加わることになります。日本の航空機産業の現状は、ボーイングやエアバスなどの海外完成機メーカーの下請けが中心です。我々のような第一次下請けを加工・組立メーカーが支え、さらに材料・工作機械メーカー・他産業が支える構造になっています。産業規模は約1・9兆円で、一般機械、鉄鋼、家電、コンピューター、造船よりも小さく、約53兆円の自動車とは大きな開きがあります。海外の航空機産業規模を見てみると、トップはアメリカで22兆円、フランス・イギリス・ドイツのヨーロッパ勢が4~7兆円、カナダが2・7兆円です。日本の約1・9兆円は先進国の中では見劣りするものの、決して小さな数字ではありません。この数字の約半分を中部地区が占めており、日本の航空宇宙産業の中心は間違いなく中部地区にあることが言えます。しかし、同じ一次下請けを担う途上国や新興国のメーカーが徐々に数字を押し上げてきているため、現状の数字を維持することが困難な状況になってきました。このような状況を打開するためにも、私たちは完成機メーカーのポジションに行く必要があったのです。また、それによって今まで私たちを支えてくだ飛行機の歴史下請けから完成機メーカーへ「モノづくり日本の未来を考える」 ~MRJの挑戦~ えがわ ひでお江川 豪雄氏三菱重工業株式会社 交通・輸送ドメイン 顧問講師写真提供:三菱航空機株式会社第29期総会講演ダイジェスト 日時:2017年4月26日(水)16時50分〜会場:名古屋東急ホテル 3階33

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