幸友20
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 愛知県の西部に位置し、自然豊かでのどかな田園風景が広がる稲沢市。そんな稲沢の地に生まれ少年時代を過ごし、文化勲章を受章した画家がいる。戦前・戦後を通じて半世紀以上パリで暮らし、パリの古い街並みを数多く描き続けた洋画家、荻須高徳だ。「稲沢市荻須記念美術館」は、荻須の業績を讃えるため、また市民の美術・文化振興に寄与することを目的として1983年に建設された。外観は、神社仏閣を連想させる、緑青に変化した銅板大屋根の平屋建築。しかし入口から中へ歩を進めると、天井の高い中世の教会建築の雰囲気で迎えてくれる。 そんな美術館の特徴は、なんと言っても荻須高徳という一人の画家の画業を見渡せるところにある。1921年、荻須は20歳のときに稲沢から上京し、翌年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に入学する。学生時代は、近代洋画の巨匠、藤島武二に師事し、写実的で温厚な画風を学んでいった。卒業後は渡仏の決心を固め、、先にパリで生活していた先輩である佐伯祐三の助言も受け、26歳でパリへ渡る。また、世界各地からパリに集まるたくさんの芸術家たちの名画を見ることで、荻須自身も画家としての地位を確立していった。その後、1939年に第二次世界大戦が勃発。翌年、ドイツ軍がフランスへ侵攻し、荻須は日本への帰国を余儀なくされる。荻須39歳のときである。帰国後、荻須は美術家の団体、新制作派協会の会員として迎えられ、制作活動を続けた。1945年終戦。ただ、しばらくの間パリへ戻ることはできなかった。そしてようやく終戦から3年後の1948年、荻須は日本人画家として、戦後初めてフランス滞在を許され8年ぶりにパリへ渡るのである。荻須は、戦前と変わらぬパリの風景を喜び、84歳で亡くなるまで、再びこの地“芸術の都”や“花の都”など、形容する言葉に事欠かないフランスの首都パリ。そんなパリに憧れを持ちフランスに渡り、芸術家としての人生のほとんどをパリで過ごした、愛知県稲沢市出身の一人の日本人画家がいます。その名前を冠した美術館を訪ねました。8稲沢市荻須記念美術館15

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