幸友19
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 何処の書店にも、多くのビジネス書が山積みされています。多くのビジネスマンが手に取り「藁をも掴む」思いで購入しています。私もその一人であり、購入したものの、その殆どが自分の身についていません。QC活動、ISO活動、イノベーション等多くのビジネス用語に呪縛され私の中を通りすぎました。学生時代は、嫌々勉強をしていました。授業での居眠り。一夜漬けでの試験。今、社会人としてこれで「良かったか」の疑問を感じています。 四十余年、足元も見ず前へ前へと仕事をこなしてきました。その間、こなすだけで仕事に対しての充実感が湧き出すこともなくただ時が過ぎてきました。六十歳を過ぎてからようやく「原理原則」に基づいた技術の裏付けがないことが要因の一つと気づき、弊社の入社式及び研修会等に於いて、社会人としての根幹は、原理原則が第一であると話をしています。ピタゴラスの定理は、欧州の石畳みを見て確立したそうです。何故、台風の西側は風が弱く被害が少ないか。外食産業ではマニュアルが作成され、滑るような口調でアルバイトが仕事をしています。今、社会は「習うより慣れよ」と原理原則でなく効率を追い求めています。リオオリンピックが終わり、メダルを取るために基本を何千回も行った選手が勝者になり、基本の大切さを我々に教えてくれました。 さて、六十歳を過ぎてからの私は、原理原則に基づき「慌てず」「焦らず」「諦めず」「侮らず」にて日々仕事をしています。後戻りなく、効率UPにつながり、仕事の近道は原理原則の大切さであると知りました。二十代の頃の嫌々の勉強ではなく、現役を退いた後に生涯学習として大学での勉強を計画しております。六十余年で得たこと、これから得ることを語りかけ、次の世代がメダルを取れるようにバトンを継ぎたいと考えております。 ニューヨークのセントラルパークに程近いカーネギーホール楽屋裏に私は居ました。2004年9月20日のことです。 EXPO2005愛・地球博のPRのために結成された市民合唱団100人の仲間と、まもなく始まる晴れ舞台を前に緊張と不安を胸に出番を待っていました。 この地で友人も知人も身内も誰も居るはずもなく、この大ホールにどれ程の観客が入場しているだろうかと思いながら並んで舞台に入場した処、正面に見上げる程の高さの5階席まで満員の観客が目に入り、歌う前から感動を覚えました。 USA国歌、君が代に始まり、日本の童謡の数々、そしてベートーベンの第九シンフォニーの合唱と心を込めて高らかに歌い上げました。 この本番の前日まで、自由の女神を臨むバッテリーパーク、マンハッタンに近い歩行者天国、グラウンドゼロ、メトロポリタン美術館などで、揃いの黄色のTシャツと愛・地球博の幟を持ってUSA国歌と日本の童謡を合唱して万博のPRに努めました。 私が合唱を始めたきっかけは年末恒例の名フィルの第九のコンサートでした。長女が入学した芸大の学生と共に後援会役員の親も参加することになり、そのステージに立つことになりました。それ以来、約20年所属するロータリークラブの混声合唱団コール・ロータリー名古屋、そして元ユニー会長の故西川俊男さん率いる男声合唱団ムッシュかきつばたと、年に6回くらいのコンサートに向けて日々練習に励んでいます。 会社経営の大部分を妻の社長に委ね、合唱を通して多くの友人を得ることができ、声を出すことにより健康にも恵まれ人生を謳歌しています。六十歳をすぎて私と合唱藤工業株式会社 常務取締役 島田 吉幸田中工具株式会社 会長 原野 勝至しまだ よしゆき はらの しょうじ44

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