幸友19
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歌唱しているだけですが、西洋音楽は左右の手で異なる動きをします。4人いたら4人が違うメロディーを演奏しているのです。それができる理由は倍音にあります。たとえば、低い「ラ」の音と高い「ラ」の音の周波数は、1対2の比率になるのです。この倍音に最初に気付いたのは数学者で哲学者のピタゴラスでした。同じ高さで整数倍数している音は、人間にとって心地良いと気付いたのです。心地良い音は分数的に言えば、非常に分かりやすい音で、嫌な音は分数的に複雑になっています。分かりやすい分数が人間にとって非常に気持ち良いと気付いた民族は西洋人だけなのです。これは世界の音楽の全てがクラシック音楽をベースとした最大の要因です。倍音に乗っていれば、色々なメロディーを乗せることができます。メロディーにどのようなハーモニーを付けたら人間にとって心地良い音楽になるのかといった配置の組み合わせを指す概念を和声と言いますが、複雑な音楽を作ることができる構造が和声の中にあるのです。このことは音楽を論理的な学問に変え、クラシック音楽を科学にしました。 他にも日本の伝統的な音楽と西洋音楽を比べると分かることがあります。日本人は情緒をとても好みますが、西洋人に音楽が救いになると思う人は誰一人としていません。西洋で音楽は心の癒しだと言うと、単純で教養がない人だと思われてしまいます。なぜなら、西洋において音楽は生きる術を教えてくれるものであり、メッセージを伝える道具だと考えられているからです。哲学者のアウグスティヌスは、「歌の内容にではなくて、歌そのものに感動したときには、罪を犯したような気持ちになる」と告白し、音楽で心を動かした自分を恥じています。このことは西洋人の根本にそのような考えがあることを表しています。西洋人は情感よりも論理を大切にするのです。また、日本の歌舞伎や能、文楽などは、できた当初のものを何百年と続け、そのまま忠実に再現することを芸術と言いますが、西洋人はそういうものをコピーと呼び、芸術とは認めません。古典派音楽の代表であるモーツァルトまでは、毎回違う曲を作る義務はありませんでした。ですから、モーツァルトの交響曲全45曲のほとんどが同じような曲です。その一方で、ベートーヴェンの交響曲全9曲は全てが異なります。また、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」は、王様と乞食は人間として同格だという物凄いメッセージソングです。強烈なメッセージであるが故、王朝時代には危険思想として40年間演奏されることはありませんでした。モーツァルトとベートーヴェンの歳の差は14歳しかありませんでしたが、これほど音楽性に大きな差があるのは、哲学者カントが出てきて音楽を素晴らしい芸術に変えようとしたからです。また、哲学者ヘーゲルは時代精神という言葉を使い、音楽はその時代を表していなければいけないと言いました。そのため、音楽は大きなメッセージを持たないといけないばかりか、毎回曲を書くたびに違わなければならない大きな義務を背負うことになったのです。このことは西洋音楽にとって非常に大切な要素になりました。西洋音楽が世界のグローバル・スタンダードになった最大の理由は、「楽譜を持ったこと」「和声(音楽)は科学であると気付いたこと」「絶えず新しいものに挑戦し、時代の流れとともに変化していくことを義務付けたこと」の3つにあると言えるのです。西洋音楽が背負った義務三枝 成彰Profile1942年生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院修了。代表作にオペラ「忠臣蔵」、オラトリオ「ヤマトタケル」、映画「優駿」「機動戦士ガンダム〜逆襲のシャア〜」、NHK大河ドラマ「太平記」「花の乱」。1997年には、構想に10年の「忠臣蔵」を初演。なお同作品のCDとビデオは、日本人のオペラとしては初めて世界27ヵ国で発売されている。著書に「驚天動地のクラシック」ほか。2004年、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」を下敷きにしたオペラ「Jr.バタフライ」を世界初演。同作は2006年、イタリア・プッチーニ音楽祭でも再演された。この再演は同音楽祭における初の外国人作品の上演であり、プッチーニ以外の作品としても初の上演ともなった。2007年、紫綬褒章受章。2008年、日本人初となるプッチーニ国際賞を受賞。2011年、渡辺晋賞受賞。2013年、新作オペラ「KAMIKAZE —神風—」を世界初演。2014年、オペラ「Jr.バタフライ」イタリア語版をプッチーニ音楽祭で世界初演。同作品の日本初演を、イタリア人歌手の出演・全編イタリア語により、2016年1月に富山と東京で行った。38

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