幸友19
33/48

出品されたもので、仕組みがよく分かるように電磁石やコイルが飛び出た状態になっています。ちなみに、予備機だった4号機は福井県の足羽発電所に移設され、現役で稼働していますよ」。八百津発電所は現在の主流であるダム式とは異なり、上流から水路で水を運び、貯水池にためておいた水を放水して発電する仕組み。「当時これほどの大規模な水路式発電所はなく、国内有数の発電量を誇っていました。ここから名古屋市の約8万世帯へ電力を供給したそうです」。 しかし、その活躍の裏には壮絶なドラマがあった。「明治時代、『名古屋電力株式会社』によって着工しましたが、技術が確立されていないこともあり工事が難航。外観が完成したところで名古屋電力は資金難に陥り、ライバルだった『名古屋電燈株式会社』に吸収されてしまいました。結局、竣工に至ったのは着工から5年後のことです」。完成後も、機器の選定ミスなどが原因で水車の破裂事故に見舞われ、1923(大正12)年には改造工事が行われている。「数々の苦難を乗り越えるべく原因究明や改良を重ねたことで、国産技術の向上にもつながったと思います。八百津発電所は、1974(昭和49)年に丸山発電所にバトンを渡すまで、人々の暮らしを支え続けました」。日本の水力発電事業の発展に大いに貢献した発電所として、1998(平成10)年5月に発電所本館と放水口発電所、2005(平成17)年7月には水槽と余水路が、国の重要文化財に指定された。 資料館には、八百津町の暮らしと産業の移り変わりを知ることができる展示コーナーも設けられている。窓から外の風景を見ていると、木曽川のせせらぎが聞こえ、ふとタイムスリップしたような気持ちになった。資料館から少し足を伸ばしたところには「木曽三川三十六景」の一つに選ばれている名勝「蘇水峡」があり、秋には美しい紅葉、そして春には約2000本の桜が咲き誇るという。美しい景観を愛でるとともに、資料館をぜひ訪れてみてほしい。電力需要が増した1917(大正6)年に、本館の隣につくられた「放水口発電所」。本館発電所の放水口から出る落差7mの水を再利用して発電。(現在、内部の常時公開はされていません)資料館の奥に見えるのが現在稼働中の丸山発電所。時間が合えば放水の様子も見ることができる。漆喰が剥がれおちているところから、レンガが積まれている様子がはっきりと分かる。レンガの長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む「イギリス積み」は、丈夫で地震に強いのが特長。1階送電棟にある母線室。高電圧に耐えられるよう、天井(2階床)は耐火構造になっている。電気回路を開閉する「遮断器」。この時代のものはほとんど現存しておらず、極めて貴重。あすわ32

元のページ  ../index.html#33

このブックを見る