幸友19
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男は戦斗帽・国防服・ゲートル(巻き脚絆)、女は防空頭巾・もんぺ着用が強制された。が、敗戦した後も、もんぺ姿の女性を見て、吉田さんは驚くのである。 さっさと着物(和装)やスカート(洋装)にはきかえる女性もいたが、戦後の東京の街角でも、もんぺ姿があった。●新橋駅=スカート25 もんぺ4 ズボン6 スキーパンツ5 和服10(午後5時)。●浅草富士館前=スカート14 もんぺ33 ズボン11 スキーパンツ20 和服30(午後3時)。敗戦1年目の観察である。(吉田謙吉調べ「名残りのもんぺ」から、数字は人数)—もんぺとスキーパンツの合の子、もんぺの上だけ和服を着込んだ者や上衣の襟元からスポーツシャツを着る者、スカートに下駄ばき、和洋折衷の言葉さえ追放して、混然たる風俗もまた魅力と考えられてゆく—と。 男もまた然り、敗戦風俗は混乱状態であった(注3)。 この混然たる風俗の中で前記『スタイルブック』が刊行された。その序文の続きでは—いくら絵に描いて美しくても 着てみて すこしも美しくなくては仕方がありません。いわゆる絵そらごとではなく あなたの暮しに実際に役に立ってほしい、と。 ここから20年後、1970年代に私たちは中部地域の山村・離島の村を旅していた。行く村々で野良仕事や山仕事で働く女の人たちがもんぺ姿であるのにハッと息をのんだ。木綿とかぎらず合成繊維の新しいもんぺもある。その形態と模様は多様である。見て歩きの相棒・岡本靖子(衣風俗研究)はもんぺを着た女性たちに熱中した。 図4はその頃、観察したもんぺのいろいろであるが、もんぺの現物は布の風合い(材質感・色調)があるので、図ではなくて布の端切れを使って縫いあわせた作品を展示したことがある(「布でつづる風俗」1981年・名古屋)。この展示に「暮しの手帖」の編集者がたずね来て、同誌83号に掲載された。もんぺを見ると敗戦後の混然とした社会を思い出す。「暮しの手帖」の人たちも同じような気持ではなかったか。 今夏、私は家の中で薄手、短めのもんぺを着て過ごした。そう言えば戦後、女性のズボン姿が増加した折、男子がスカートを着てもいいじゃないか、と実践した花森さんの姿を思い出した。もんぺは女子とはかぎらず。注1 暮しの手帖は書名ですから、通常の暮らしを使いません。注2 吉田さんの著書『女性の風俗』1955年・河出書房刊を参考。図版1・2・3は本書からトレースさせて頂きました。図2左は岡本靖子作図注3 敗戦風俗としては、もんぺのほかスカート、ネッカチーフ、立読み、手提げ袋、吊革、おしるこ屋、闇市、靴磨き、待合室、アベックのコースをとりあげる。・・・・・・・・・・・図3 女性のもんぺ姿図4 もんぺのいろいろきゃはん・えりせっちゅう18

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