幸友19
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 雨あがりの夕刻、ふだんの町を散歩した。路上に水たまりがあり、電柱脇に小石が落ち、夏草が生え、夕陽をあびて輝いている。昔の文人画を見るようでうつくしい。国文学・岩本素白さんなら「街頭山水」と呼ぶような見事な景色であった。ありふれた日々の暮らしのなかにも、感じ、考えてみなくてはならない現象がある。 ことし、『暮しの手帖』(注1)を買ったら『スタイルブック』(1946年刊行)が付録で入っていた。その本の著者・花森安治さんが表紙裏の序文で次のように書く。どんなに みじめな気持でいるときでもつつましい おしゃれ心は失わないでいようかなしい明け暮れを過しているときにこそ きよらかな おしゃれ心に灯を点けようつつましい おしゃれはあなたの心ににおう一茎の青い花あなたの夢に流れるとおい子守唄そして あなたの日日を太陽へ翔けらせる翼お友だちよ 欺くのはやめよう私たちに青春のあるかぎり 私たちには希望がある(現代文に一部変更) この本は敗戦1年後の日本の夏、衣食住で苦しむ人びと、女性に呼びかけた小文である。70年後の現在、暖衣飽食、過剰とおもわれる消費、情報化社会、科学文明の進化で追い立てられるように暮らしている私たちに、生活とは何か、あらためて考えさせる一文であった。敗戦後の暮らしはどのようなものだったろうか。 とは言え、戦後小学生であった私はそれほど社会の生活・風俗を見知っていたわけではない。そこで「敗戦後の風俗」を観察した考現学研究者・吉田謙吉さんの資料(注2)をたよりに思い出してみる。図1は東京・池袋の某マーケットの屋台で売っていた「十円札1枚で買える品」の事例。ふかし芋1皿で2〜3本買える。天ぷら3個、今川焼3個、壷焼2個…である。当時、さつま芋は代用食の親分格で、芋粥・芋まんじゅう・芋パン・芋切り干し…雑炊・すいとんとならぶ食事であった。食糧が欠乏していたので、日々芋やかぼちゃを食べ続けウンザリした。芋が上等なケーキ菓子の食材で登場したのはずいぶん、後になってからである。 図2はリュックサックをかけて買出しする女性。勤め人・学生の男たちもリュックをかけ買出していた。中身は食糧物資。大きな荷物をかついで運ぶ人が記録されている。その40年後の街で「タウンリュック」と呼ぶ、若い人たちの間でおしゃれリュックが流行する(図2の左)。戦後の買出しリュックとのちがいは、小型で軽量だったこと。スポーツ・レジャー用品としてのリュックであった。 図3は東京・新橋駅の待合室で見た「もんぺ」姿の女性である。戦時中、国は軍事体制をとり隣組制度・食糧配給制・国民服着用をきめた。「もんぺ」について岡本信也text by Shinya Okamoto混然 とした風俗10そはくはばた図1 十円札で買うもの図2かゆ17

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