幸友18
45/48

 早いもので会社に入り30年余、最初の仕事は建設現場の監督さん。新入社員といえども、職人さんに指示を出さなければなりません。父親と同じくらいの人、ちょっと怖そうなお兄さん、彼らの仕事が順調にできる段取をすることが業務でした。時にはうまくいかず、怒られたり、追い掛け回されることもしばしば。当時の建設業のイメージは3Kと呼ばれ「きけん・きたない・きつい」であった。そんな中でも希望はあった。早く一人前になるぞとか、そんな立派なものではなく、自分の稼いだ金で車が買いたかった。二年後その夢はかない、赤いスポーツタイプの車を手に入れることができた。そしてその助手席には、彼女を乗せようとビニールシートを外さずにいた。しかし、実家に戻った時、そのビニールシートを剥がし乗り込んできたのは母であった。 昨今の建設業の課題は、年々携わる就労者が減少して、バブル期450万人だったのが、今では350万人を切る状況にいたっている。私が入社したころには、確かにきついが魅力ある仕事というイメージが、だんだん薄れてきているのは事実かもしれない。建設業の厳しさとみられる要素のうち体力面や安全面は大いに改善されており、昔の3Kを払拭し、新3K「希望・休暇・給料」夢とやり甲斐のある誇りの持てる職業であることを、若者、女性にわかってもらい、意欲を持って建設業の門をたたいてもらいたい。 何の知識もないままに、広告の世界に飛び込んで早や37年。時代の変化は広告の手法だけではなく、職業人の意識も大きく変わってきたように思います。 弊社も今からでは考えられないのですが、多くの企業がそうであったように、売上第一主義・封建的社会でした。新米の売上の立てようのない私は「おはようございます」「失礼いたします」以外の言葉を発することは許されず、自分の存在価値とは何かを考えざるを得ない日々にありました。 そんな私に、上司から大切なお客様の担当を命じられました。引き継ぎ等があるわけでもなく、これまた何の専門知識もない業界にひとり飛び込んで行くことになりました。当然のこと、お客様から上司から、毎日叱咤の連続で休みなしで仕事を続け、ようやくお客様と議論し、感激を分かち合えるようになりました。様々な試練をそのお客様と一緒に乗り越え、今もお付き合いいただいております。 弊社は昭和28年創業の広告代理店です。紙からネットへと媒体は拡大を続けていますが、私はどのような時代になっても、広告代理店として変わってはならないものがあると考えています。それは、お客様への貢献です。私はお客様への貢献度に自己成長感を投影しながら仕事をさせていただいた幸せ者です。仕事が私の心の成長を促し、今日があると思っています。 今後は私の学んだ大切なものを次代へ確実に継承し、より一層の精進に邁進したいと思っております。夢のある職業へ仕事を心の成長の糧に上田 隆章渡邉 正道清水建設株式会社名古屋支店一宮営業所 所長株式会社産通代表取締役社長  うえだ    たかあき  わたなべ    まさみち44

元のページ  ../index.html#45

このブックを見る