幸友18
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JR名古屋駅の周辺が超高層ビルの工事であわただしい。時々この辺りを散策しているが、ある時、見知らぬ老人に会った。その白髪の男は旧国鉄・名古屋駅の鉄筋コンクリートのビルが建つのを、田圃の中で見たおぼえがあると言う。この駅「ナゴヤステーション」ができたのは1937年(昭和12)だから、老人はそれ以前に生まれていたらしい。 以降、駅裏の新幹線ホームの完成と駅前地下街、近年のステーション解体と超高層ビルの建造を見ており、立ち話で途切れ途切れに回想を聞いた。何が記憶に残ったか、たずねたら、空襲で焼け残った「ステーションと敗戦後」と返事がきた。出会ったのは10年前であった。たしか、古い木造家屋の前の道端(図1)だったような気がするが、不明である。現在、ご存命なら百歳を越えておられるだろう。 この夏、『夢声戦争日記抄』を読んだ。「1945年(昭和20)7月30日、B29とP51に対する私の関心は南瓜と胡瓜に対する関心と同じ程度である。朝から夕まで警報の出つづけであったが、私の頭脳の中は敵機よりも南瓜の方が幅を利かせていた」 文中「私」とあるのは徳川夢声さんその人である。大正初期に無声映画の活動弁士で、後年はNHKラジオ・テレビ番組で活躍した(1894年〜1971年)。 警報とあるのは米軍爆撃機B29と戦闘機P51による日本への空襲である。空襲よりも南瓜の方が重大事だった。 さらに8月9日の日記では…、「いざという場合には花草よりも野むせいかぼちゃきゅうり戦争日記に出会う岡本信也text by Shinya Okamoto朝のにおいについて9図1 名古屋駅・西側の町で図2 防火用水槽に草木を植える(2003年・岐阜県内)・・・・17
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