幸友18
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本多洋介(ほんだ ようすけ)氏/昭和31年愛知県生まれ。京都産業大学理学部物理学科卒業。昭和56年本多電子株式会社入社。入社後も防衛大学電子材料研究室で圧電セラミックスの開発技術を学び、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で画像解析の研究に従事。昭和62年代表取締役社長就任。 弊社は、高度成長期の昭和30年代に最後発の魚群探知機メーカーとして誕生しました。創業者であり技術者でもあった私の父、本多敬介が当初から徹底して貫いたのは、他のメーカーを真似ることなくオリジナリティで勝負するという方針です。その結果、大型船舶ではなく小型の漁船をターゲットとした、コンパクトで高性能な魚群探知機でニッチ市場を切り開き、現在まで続く超音波技術の専門企業としての礎を築きました。 そんな父はよく、「一寸法師の針を持て」という言葉を使いました。一寸法師は、身体は小さくても大きな鬼に勝ちました。小さかったからこそ、針の刀を手に鬼の胃袋へ飛び込めたのです。それに例えて、「何かお前にしかできないこと、これだけは絶対負けないと思えるものを見つけなさい」と言われて私は育ちました。会社でも、同じように部下を指導していたようです。中小企業でも鋭い針を持てば大企業と互角に渡り合えるという父の気概をかっこいいと感じましたね。 本多電子に入社後、私は働きながら大学で研究を続けました。それが、弊社オリジナルの圧電セラミックスを使った超音波技術につながっています。自社生産のセラミックス振動子を超音波機器に応用する例は他になく、まさに「一寸法師の針」となっています。また、この針の刀で、これからもグローバル市場や新分野へと切り込んでいくために、個人の「一寸法師の針」を大切にする姿勢を経営者自ら示すようにしています。特殊な技術を扱う技術開発主導型の企業では、創造性の高い右脳型の発想を必要とします。そのため、斬新な発想をする人が活躍できる場づくりや、長所を認めるだけでなく短所も受け入れられる企業風土が欠かせないのです。人は人を育てることはできません。であるなら結果的に人が育つような環境を育てたいものですね。できれば企業だけでなく、一人ひとりの「一寸法師の針」を大切にする社会であってほしいと願っています。誰にも負けない何かを見つけることの大切さ。本多電子株式会社代表取締役社長「一寸法師の針を持て」高い安全性・機能性を備えた医療用衛生材料の安定供給を続ける「オオサキメディカル」。超音波の可能性を広げ続ける超音波応用技術の総合メーカー「本多電子」。ともに海外の市場拡大を視野に入れる経営者として大切にしている言葉とは何でしょうか。今回もおふたりの企業人にお話を伺いました。12

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