幸友17
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たとされる部屋が残されている。1978(昭和53)年までは再建当時の襖がそのまま立てられていたが、襖絵が国の重要文化財に指定されたことから、現在では収蔵庫でその色彩豊かな絵を見ることができる。特に収蔵庫内に再現された“将軍御成りの間”は目を見張る美しさだ。襖絵は、大和絵派の絵師、冷泉為恭によって描かれた大作。為恭は、絵具の材料や使い方に研究を凝らした絵師として知られるが、例えば白色は水晶を、緑色は銅のさびの緑青を、黒は鍋の底についた煤を使っていたという。 その後、順路を進むと宝物殿(位牌堂)へたどり着く。家康公の木像と松平家および徳川歴代将軍14代までの位牌が安置されている部屋だ。特徴的なのは、その位牌が等身大(亡くなったときの身長)で作られているということ。ずらりと横に並べられている様は圧巻で、さまざまな高さであることが見てわかる。徳川歴代将軍の位牌と対面した後、現代まで刻まれてきた時の流れに思いを馳せながら本堂へ戻った。 境内へ出ると、「ここから山門を通して向こう側に岡崎城が見えます」と野村氏が教えてくれた。実は、この大樹寺の見どころの一つとしてあげられるのが、境内から山門、そして総門(現在は大樹寺小学校の南門)を通して、3km先の岡崎城が見える「ビスタライン」と呼ばれる眺望だ。もともと徳川3代将軍の家光公が、祖父にあたる家康公を尊敬し、いつでも大樹寺から岡崎城を見守ってもらえるように、また、岡崎城からは先祖代々の位牌を拝むことができるようにとの思いで作られたといわれる。この景観を長い間守ってきたのは、そのライン上に暮らす住民の方々の配慮だという。徳川家の絆は、現代の岡崎市民によって大切に守られているのだ。 歴史に“もし”はないが、もしも家康が登誉上人と出逢っていなかったら、今という時代は…。そんな思いを反芻しながら、歴史に大きな役割を果たした大樹寺を後にした。江戸時代に作成された「家康公の木像」。昔の国定教科書には、この木像が家康公の写真として掲載されていた。「戦時中、ここ大樹寺は空襲の被害に遭うこともありませんでした」と語る執事の野村顕弘氏。「将軍御成りの間」の襖絵は、絵巻の手法で描かれており、部屋に入り襖を閉めると絵が全てつながって見える。本堂内陣「位牌は三河の大樹寺へ」という家康の遺言により安置されている家康公の位牌(写真右)。2代将軍秀忠公とその妻、江の位牌もここに納められている。れいぜいためちか32

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