幸友17
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 韓国の人たちの中で日本人憎しという考えが氷解してきており、自分たちの歴史を大事にしようとする考えの変化を感じるようになりました。その兆しの一つとして、かつて日本人が暮らした空間を保存する動きが起こっています。台湾でも日式木造建築を早く壊して失くそうとする動きが一時期ありましたが、保存活動が始まっています。韓国の群山では、日式建築を修復して旅館として活用しています。宿泊客の多くが若者です。若者は理解があるのか、あまり過去を気にしていないようです。それまで日本を憎む話が多かったのですが、韓国の人たちの中に日本統治時代の空間を保存したい思いが出てきたようです。自分たちの生まれ育った環境や歴史などをもう少しちゃんと見つめ直そうと変わってきているのだと思います。九竜浦では日本の家屋を保存することを巡って喧々諤々の議論がありましたが、気が付くと保存の動きに変わっています。失くす考えから、修復して保存しようとする心境の変化は一体どこにあったのでしょうか。これからが面白いところですね。現地実測調査でも建前では日本憎しですが、懐に入ってみると日本の事をそこまで悪く思っていなかったりします。本音と建前が顕著なのが韓国ですから。 学生たちと韓国に実測調査へ行くと、最初は物凄く愛想のない態度をされます。ところが、ドロドロになりながら実測を行っていると現地の人たちからおやつが出てくるのです。私を含めた全員が韓国語を喋ることはできませんが、最終的に別れを惜しんで帰国するほど仲良くなります。言葉が通じずとも、田内千鶴子さんのように誠心誠意自分で良いと思ったことをしていれば、必ず理解して手を差し伸べてくれる人が現れるのです。片意地を張らずに生きた彼女の生き方は本当に素晴らしいものです。人間としての真面目さは国が変われども通じるということを田内千鶴子さんから教えてもらった気がするのです。信念を貫き、真摯に対処していれば誰でも国際社会で通用するのではないでしょうか。真面目に取り組む姿勢は、人間の心に訴えかける力を持っていると異国の地での実測調査を通して感じています。内藤和彦先生の 韓国の「日式木造住宅」の実測調査を手掛け始めた頃、この本と出合った。私がクリスチャンだったら、こんな読み取り方はしなかっただろう。宗教的感覚が欠けていたために、より客観的に田内千鶴子という人の生き方に接した感じがした。戦前から戦後にかけて、韓国の木浦で「共生園」という孤児院を経営し、多くの孤児達を立派に育て上げた日本人。56歳で他界したが木浦市は彼女の葬儀を市民葬とした。3万余人の会葬者があったという。生前には韓国の文化勲章も授かっている。私は、こんな人がいたことをこの本で初めて知った。あの排日、剋日の雰囲気の高まる戦後を彼女はどう生きたのだろう。そんな時期に、韓国国家が日本人に勲章を授け、市民葬までしたという。木浦で何かとてつもなく素晴らしいことがあったに違いないと確信した。そして木浦市とその周辺都市に向かった。この本が、私の「日式建築研究」の背中を押してくれた。―これから日本人が国際社会で示すべき姿のヒントが見えてきた気がします。―実測調査で見えてきたことは他にもありますか。「真珠の詩 韓国孤児の母・田内千鶴子の生涯」 森山 諭  真珠の詩刊行委員会27

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