幸友17
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ラッシュアワーで辛いものであり、発狂しそうになるのを堪えて勤務した。1日往復3時間の通勤とすれば、20才から60才まで働いて、延べ数万時間を車中で過ごす人生となる。私は1万時間足らずで終了したけれども。 郊外生活は勤め先、すなわち職場(都会)と寝食する住居(俗に言う田舎、市外)とが離れていること。職住分離からはじまった暮らし方である。それは東京・世田谷辺りの郊外生活にもうかがわれる。この職住分離を結ぶものとして、かつては汽車であり、電車がありバスの交通機関が利用された。人口移動が加速するにつれて、交通システムも進化し複雑で分秒を競う生活となった。 現在の名古屋郊外を歩いてみると、平坦な田畑の中で背の高い集合住宅や一戸建ての住宅が連らなっている光景を諸所で見る。目立つのは駐車場の多さと、駅前のパーキング場の広さである。道路は車が走りまわり、と言っても荷車や人力車ではなくて、自動車であるが、歩く人の姿は少ない。大型のショッピングモールか、工場・倉庫の設備をところどころで見るが、歩く人影は少ない。 ただ、旧来の大通りを行くと、薬局・八百屋・陶器屋・時計屋・洋品店・カメラ屋・散髪屋・染物屋・たばこ屋・かしわ屋(鶏肉)・クリーニング屋があったり、焼そば屋・だんご屋・ホルモン焼・とんちゃん(豚肉)・ラーメン屋などの飲食店では疎ばらに人影を見たり、カラオケ喫茶・ダンス教室・手芸教室…では娯楽する人びとを見た。車砂漠の町ではないとホッとする。車が走り目がまわるようだが、現実、目玉がまわった人は居ないのだから安堵する。 気になるのは貸地・貸家の看板をチラホラ見かける。昔にくらべて田畑が減少し空き地が目につく。空き地をあり合わせの柵・囲いをつくり駐車場(図3)にしたり、貸倉庫・貸コンテナ・資材置場に使ったりしている。開発予定の柵もある。かつて、大正末期の考現学採集でも東京・世田谷の郊外で貸地・貸家の札を観察しているが、郊外の生活にとっては、さけることができないひとつの属性かもしれない。空き地のあり方、存在がこの町の行方をしめしているように思われた。 郊外から名古屋の都会へ帰る途中、電車の中で乗客をながめた。ラッシュアワーを過ぎていたので比較できないが、43人中8人がケータイを見ていた。新聞を読む人は居なくて、今、流行中のスマホである(図4)。 明治期、国木田独歩が『武蔵野』の本を書き、田園生活がひとつの理想のように受けとられたが、それが実感できたのは束の間ではなかったか。広い空・雀のさえずり・鳩の羽音・エンジンの音・電車の警笛・枯野と青田・高層ビル・電柱・空き地・車内の混雑・散髪屋のノスタルジア・ホルモン焼の酔客…これら雑然とした諸事象が重なって調和が生れるであろうか。ドイツの作曲家・ベートーベンに「田園」という名曲がある。今和次郎さんはそれになぞってJapanese suburban symphonyと記している。現代の郊外はどのようなシンフォニーを奏でるか。 (今回の郊外は名古屋市の北部、岩倉・小牧・春日井の町を歩いた)空き地について図4 ケータイ(俗にスマホ)に話しかけている男 映像・音声を交信する電子装置に熱中する人びと(公園のベンチで)図3 駐車場の柵 この奥に車が駐車している(2013年10月)ま・・ ・・・・18

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