幸友16
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闘争や葛藤があります。対日政策についても検討が重ねられているはず。実際に前首相の温家宝は、来日に際しては日本の人々にどうアピールするかパフォーマンスに工夫を凝らしていました。我々は、報道で語られることのない政治家の働きかけとその思惑をもっと知っていてもいい。ところが、新聞はそれを大きく伝えません。スペースが足りないから、そして、多くは当然の出来事として省略するからです。しかし、それでは受け手側もイメージできない。もっとメディアが伝えていかなくては、と実感しています。 今回のオリンピック招致にあたって、時代は変わったと強く感じる出来事があります。8月末に、安倍首相が中東のバーレーン、クウェート、ジブチ、カタールの4カ国を訪問しました。このうち、バーレーン以外の3カ国は、IOC委員(国際オリンピック委員)がいる国です。日本政府がこれらの歴訪先を選んだのは、計算づくのことだと私は考えます。特に、クウェートのIOC委員は、キングメーカーといわれるほど影響力を持つ人物。安倍首相は、クウェートの国王に会って、「オリンピックでは東京をよろしく。IOC委員にも伝えてほしい」と頼んでいます。首長自らIOC委員を兼ねているカタール、そしてジブチでも同様に依頼しています。これらは、「オリンピックを政治に利用している」と非難されるので詳細は明らかにはしていません。ただ、今の日本の世論は、スポーツの政治利用に関して、意外に寛容になっているのではないでしょうか。首相が働きかけをしなかったら、逆に非難されたかもしれません。4年前にも、アメリカのオバマ大統領やブラジルのルーラ大統領など、開催候補国の元首はオリンピック誘致に自ら動いていましたから。 きっかけは、冷戦終結です。それまでは、スポーツの政治利用はしないという自制が働いていた気がします。スポーツは純粋なもの、政治の手段にしてはいけない、と。それが、冷戦終結後は逆に、スポーツと政治は不可分なものであるという事実が受け入れられるようになったのです。思いあたる例のひとつは、ユーゴスラビアが解体する前におこなわれていた共和国間のサッカー試合。その頃、たとえばセルビア共和国とクロアチア共和国が試合をすると、サポーターも衝突して乱闘になっていました。サッカーがユーゴスラビアに内在する矛盾や対立を先取りして示していたのです。また、ルーマニア革命でも、サッカーの勝利デモが不満を表明するきっかけとなり、暴動のうねりへと変わっていきました。これらの事柄から、政治とスポーツは切り離せないものだとわかります。この20年で、スポーツを政治に利用することは、ほとんど普通のことになりました。 まさにそうですね。冷戦時代は、アメリカを中心とする資本主義社会とソ連を中心とする社会主義社会の対立構造がまず前提にありました。スポーツを含む文化は、体制間競争の手段だったわけです。そのような時代、1980年代末頃までは、日本は西側諸国の模範生でした。戦争ですべてを失ったのに世界第二の経済大国に成長したのは、資本主義体制の優越性の証と見られていたのです。だからこそ、西側諸国の間で優遇されてきました。しかし、いまや日本は数ある国のひとつに過ぎません。それまで日本を―今年は東京オリンピック開催決定のニュースが駆け巡りました。―スポーツの政治利用に世論が寛容になった理由は何でしょうか。―冷戦終結によって、私たちの価値観が変わったと考えられますね。26

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