幸友15
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 また、他方では手拭・タオルの使い方も変わりつつあるように思われる。図Bは30年ぐらい前に各地で調べたもの。建築・道路の工事現場や野良仕事で働く人が、頭部に鉢巻をしたり、首に手拭を巻いたりしている。屋外で労働する人々なので、日除けと同時に汗を拭くためのものである。タオル(towel)は福沢諭吉が『西洋衣食住』(慶応3年・1867年刊)の中で——西洋手拭、丈2尺5寸と紹介したように、欧米からの移入であり、明治中期以降、ふかふかして肌触りが良く評判となって普及したと言う。近時はタオルと手拭は区別がつきにくくなったが、旧来のものは、和風に手拭(木綿・平織)、洋風にタオル(輪奈織・浴用)としていた。この吸水性にすぐれたタオルは、ハンドタオルのような汗拭きとか、水拭き・手拭きのおしぼりや雑巾・掃除用具にまで広く使われるようになった。30年前、工事現場で汚れて古くなったタオルが、雑巾となって使用されている光景を見たことがある。古手拭と同じあつかい方である。ハクライ(舶来)であった西洋手拭が、百年余経って日常の暮らしの中へとけ込んでいる。今は和洋の区別なく使う。 太陽が西へ傾き、日が山の端に沈む頃、「夕涼み」を思い出す。小さな体験であったけれども、1960年代までは路地裏の隅で縁台を出して涼む人たちがいた。それは私が住む名古屋にかぎらず、どこの街にもあったはずで、縁台を囲んで線香花火をやったり、かき氷・西瓜を食べたり、将棋をうったりした。まだ、ルームクーラーという設備はどこの家にもなくて、夏の夕方は路地やカンショ(閑所)で夕涼みした。敗戦後から10年間ほどの記憶である。 1970年代に、この夕涼みを思い出し、縁台をもとめて各所を歩き回ったが、ルームクーラー、マイカー時代がはじまり、縁台は邪魔者扱いされていた。運良く見つけたりもしたが、置き場がなく雨晒しにされていたり、無残な状態で空地に放置されていた。21世紀の今でこそ、縁台・縁側はコミュニティ再生のヒントとして着目されたりするが、当時は車を持つこと、家の中が涼しくなることに熱心であった。 20年前、大阪の街の路上で居眠りしている人を時々見かけた。縁台ではなくて、ソファの椅子であったり、路面にダンボールのようなものを敷いて寝ている(図C)。昭和初期の『考現学採集』書の中にも、公園や駅のベンチなどで居眠りする人を観察しているが、平成の時代になっても、同類の現象が続いているのでうれしくなった。真昼間から喫茶・カフェで居眠りする人が目立つが、電車の車内で居眠りする人は多い。車内で新聞・雑誌を読む人がいるが、近頃ではケータイ(スマートフォンなど)を見ている人が3〜10%、急速にふえてきた。先日、若い女性がケータイを見ている、と思ったら、とつぜん、ケータイを床にポトリ!と落した。ケータイを見ながら居眠りをしていた。日暮れた夜間ではなくて、お日さまが出ている日中からウツラ、ウツラする人々。太陽へ旅するより、眠る快楽には勝てない。図C 昼寝する人々(1992年大阪市内で)図B 手拭・タオルの人々(1970〜80年代・名古屋及び東京で。図中12〜14は三重県の離島で採集)ふふわなせんこあまざら20

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