幸友15
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大岡 三茂(おおおか みつしげ)氏/昭和18年愛知県生まれ。昭和41年早稲田大学第一理工学部卒業。同年、愛知製鋼株式会社入社。昭和42年愛知製鋼株式会社退社後、株式会社大岡鍛工所(現大岡技研株式会社)入社。平成3年大岡技研株式会社代表取締役就任。平成18年株式会社オオカ商事代表取締役就任。同年、株式会社三清社取締役会長就任。 私が、企業経営的にも、個人の生活においても心がけていることをお話します。私は、技術系出身で経営に疎かったこともあり、たくさんの本を読んできました。中でも大切な1冊をあげるならば、ドラッカーの「創造する経営者」です。当時、この本で“創造”という言葉の重要性に気づいたものでした。 当社は創立当初、ハンマー鍛造で鉄道部品を製造し、その後、自動車産業へ進出。自動化により生産性は上がりましたが、当時は“3K”の代表的な仕事で、このままでは事業として長続きしないと判断し、フォージングプレスへ移行しました。自動車部品の中でもギアに特化した当社でしたが、大手企業と勝負するためには、新たな技術の開発が求められました。それは、ミリからミクロンの世界に入っていくこと。当時は技術者全員からできるわけないと猛反対されました。社員全員が賛成すれば、どこの会社でもやるのは当然。逆に技術者全員が不可能と言うことを成功させれば必ずそれは独自技術になるはずです。しかし、できないと言う社員をやる気にさせることは容易ではありません。当時の技術のトップを口説き落とすのに一年半かかりました。彼も根負けしたのでしょう。「そこまで言うならやりますが、失敗しますよ」と言いました。しめたと思いましたね。技術屋が一旦やると決めれば、少しでも成功するように取り組むものです。その後一度は失敗しましたが、試行錯誤の末に作ることができました。 日本人は一度作り上げたものを捨てるのが苦手です。私が習慣づけたのは、右か左か迷ったとき、いくら考えてもわからなければ、まずはどちらかに決めて進むこと。間違えていたらできるだけ早く退却すればよいのです。もともと内気だった性格の私がこのような考え方に変わったのも、大学時代に性格を変えようと苦手なことを全部やった結果、つまり自らを創造的破壊した結果なのです。不可能を可能にすれば、それが独自技術になる。大岡技研株式会社代表取締役社長「創造的破壊と    創造的建設」お客様のかけがえのない存在であるために、地域密着にこだわり続けるカーディーラー。世界に通用するオンリーワン技術で、自動車用変速機歯車を製造する歯車メーカー。ともに唯一無二の存在になることを目指して、チャレンジを続けるおふたりの経営者に、一番大切にしている言葉をお聞きしました。14

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