幸友14
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 今年、6月28日朝、テレビで天気予報を見ていたら、「今日の電力予想89%」とニュースが流れた。この日を最初として毎朝、電力予想が発表され「節電のすすめ」が日本各地に広がった。そのひとつ、エアコンには無念な思いがある。 私の家では1970年代にルームクーラー(当時エアコンではなかった)を入れた。古い木造の町家だったので、土壁に穴を開け、窓ガラス、戸障子を密閉しなければならない。すきまだらけの家屋がガタピシして、こわれるのではないかと思った。涼しくはなったけれど、室外機からは嫌な熱風が排出され、快適さとは裏腹に不愉快であった。この思いにかき立てられ、屋根の上や庇の下、軒端に取りつけられたクーラーの室外機を観察した(図B参照)。現在の新しい住宅・マンションでは高気密でエアコン設備ができるよう設計されているが、当時の住まいは、まだまだ旧来の住宅が多くあり、その家へクーラーを取り入れたため、不似合いな、不自然・不安定な室外機が諸所に見られた。日本のうつくしい家屋を破壊しているように映った。 節電で思い出すのは夜の街のあかり——照明である。1970年代、蛍光灯の白い光が日常化しはじめた頃、夜になると煌々とあかりが点る。街灯・家々のあかり・ネオンサイン等とは別な、たとえば道路脇のガソリンスタンド、24時間営業のコンビニ、街角の自販機群、工事中の標識…真夜中でも明るい街(図C参照)が現われた。十五夜の月も色あせてしまう。それはここ30〜40年の間で徐々に増加してきたため実感しにくいが、その前の暮らし方を思い出してみると、過度な明るさである。エアコン、蛍光灯は充分過ぎるくらいあり、節電は可能である。 オストヴァルトという科学者(ノーベル化学賞受賞者)が1912年に『エネルギー』(岩波文庫刊)の書を発表している。その中でエネルギーの形態には落下力・運動力・熱・磁気・電気・化学反応を列挙する。ここまでは科学としてフツーな説だが、最終の章で「精神現象」をもエネルギーの形態と考えている。あらゆる現象をエネルギーとしてとらえようとするユニークな発想(エネルギー一元論)である。現代科学事情に無知な私には理解しにくいが、節約する気持ち——精神もエネルギーかしら。 美術骨董の蒐集を趣味とする人たちに比べ、缶のふた拾いが節約的であるのはたしかである。エアコンとあかり図B クーラーの室外機(1985年・中日新聞「街の考現学」で掲載)図C 夜のあかり(ガソリンスタンド、自販機、工事中の標識・愛知県で採集)ひさしこうこう20

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