幸友14
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 今春、名古屋某所の空き地でアルミ缶のふたをひとつ拾った。久しぶりである。今の若い人はご存知ないかもしれないが、20数年前、コーヒーやビールの缶のふたをプルトップとかタブと呼んで、缶のふたは引きちぎって飲む型であった。ちぎれたふたが路面や溝のふちに散乱していた。これを拾い集めて行くと、さまざまな形状があり、それが人の足や自動車のタイヤに踏みつけられ、折れたり、まがったり、千差万別の表情が見られ面白く思われた。 あれから20余年、缶のふたの型式が変わり、今見るようなステイオン(ちぎれない型)となり、ぺちゃんこぶたは消えてしまった。久しぶりに拾って、なつかしい気持ちがした(図A及び下記参照)。考えてみれば、このふたの変形は地球の重力作用によって生まれた現象である。 缶のふた拾いをする以前、1970年代に私は揖斐川の上流、徳山村(現・岐阜県揖斐川町)へフィールドワークに出かけた。まだ、ダムに沈む前、8ヵ村の集落をたずね歩いて生活記録をつくった(『フィールド2号』1975年刊)。この村に電気が点ったのは1950年(昭25)で、以降年々、電気の需要が増え、本格的導入がはじまったのは1963年(昭38)である。村の家々にテレビ、洗濯機、扇風機、冷蔵庫、炊飯器、掃除機等が入るようになる。私が訪れた頃はダムの計画が知らされていたが、水力発電を目標としたものであった。ご承知のとおり、水の重力でタービンを回転させ電気をつくる方法である。山村に限らず、敗戦後(昭20)の日本はどこでも電力不足だった。雨が幾日も降らないと映画館が休みになる、電気こんろを買っても湯が沸かせないとか…停電で困った時期がある。豊かな河川が多い地域では水力発電は希望のシンボルでもあった。が、後年、徳山村のダムは完成したけれども発電が目標ではなくなり、多目的利用のダムとなっていた。ダムによって村々の方が消滅してしまったのである。 「重力によるエネルギー」に限ってみれば、水力発電は実にすぐれた技術だろう。それに比べ、前出のふた拾いは有効利用とは言い兼ねる。趣味の領分だろう。けれども、地球上のどこにでもある重力の現象を再認識すること。落下力とか回転力(上が下になり、下が上になる連続的現象)等、諸事象を日々観察することから、より新しいエネルギーの発見が生まれるのではないか。かつて、古代の人びとが水車、ポンプを発明したように。重力の観察からエネルギーの節約について図A 缶のふた電気こんろ・・19

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