中部大学教育研究20
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価に学生が関与する大学、ならびに学生がFDに参加する大学が増加傾向にあることが読み取れるが、それが学生自身の学びに結びついているか否かは残念ながら不明である。さはさりながら、大学の組織としての取組に対する学生の関与を学習パラダイムにおける新しいFDへと繋げていく可能性の胚胎として捉えてみたいと思う。6学習パラダイムにおける授業評価はどうあるべきか先述のデータでは、例えば、学生自治会の意見や教育改善のための課外活動の成果が授業改善にどのように反映されるのかは分からないし、教育改善委員に任命されるのがどのような学生なのか、その属性や規模、ましてやそこに主体性があるのかないのかを知ることもできない。このような取組に関わる学生は一部の有志に限られているのか、聴取された意見は参考意見に留まるのか、諸々の活動の成果は学生のアクティブ・ラーニングの実現に還元されているのか、これらは全く不透明である。しかし、たとえこれらの取組が教員の授業改善にのみ資するという教育パラダイム的な発想に基づいたものであるとしても、学生が授業改善のための組織的な取組に参加するチャンネルが複数用意されつつあると前向きに捉えることが学習パラダイムにおけるFD活動や授業評価をデザインする上で必要なことである。そこで、まずは学生が関与している授業評価について、教育パラダイムにおける授業評価の在り方を振り返りながら、これを学生の学びを促すためにどのようにリデザインすればよいのかを考えてみたい。従来の学生による授業評価に立項されている質問の多くは、教員のパフォーマンスを対象としたものであり、学生が知識や技能をどの程度身に着つけることができたのか、教えられた内容をどの程度理解できたのかということよりも、授業に対する満足度が問われる傾向にある。その結果は教員にフィードバックされるが、結果を活用した成果が表れるのは次期以降の授業であり、評価をした学生の利益には結び付いていない。真に授業改善を願うならば、授業評価は授業の内容や方法を該当する授業期間において継時的に検討できるものになっていなければならない。そして授業内容・方法に関する段階的な観察・評価・確認のうえに、学生がどの内容を理解し、あるいは理解していないかが、継続して検討されなければならない。学生の学びの質を高めるためには、学習についての診断的な情報(カルテ)が不可欠だが、これを得るためには学生の学習成果を段階的に検証する必要がある。現在、学生が自身の学習を振り返り、その質の向上に資するべく、学生のパフォーマンスに焦点を合わせた授業アンケートを実施している大学がある11)。継時的な経過観察には至っていないものの、新しいかたちの授業アンケートが、「その授業で何をどこまで学んだか」についての学生による自己評価(間接評価)と教員による成績(直接評価)とを紐づけ、「きめ細やかな現状確認」(須長他2019)を目指しているのは注目に値する。学習パラダイムにおける授業評価は、学生による学習評価と教員による学習評価を継時的・段階的に積み重ね、そのプロセスと結果を学生・教員の双方に還元し、それぞれに省察を促すものとなるのが望ましい。学習パラダイムにおける授業評価は、今後、より多くの大学で試行錯誤を繰り返しながら構築されていくことが望まれる。ここでリファインされたものこそが、学習パラダイムにおけるFD活動に資するものとなると期待されるからである。7学生はどのようにFD活動に関与すればよいのか本セクションでは、学習パラダイムにおけるFDをデザインするに当たって、決して失念してはならないことについて論じたい。それは、例えばFD活動に関わる学生の委員会を組織したり、その委員と教員との合同会議を定例的に開催したり、活動に関するニューズレターを定期的に刊行したりするといったハードウェアに関するものではない。FDにどのように関わるのか、その姿勢や意識といったソフトウェアに関するものである。それが今までの我が国におけるFDの諸活動に欠落していたことだからである。知識構築を学生が体験するために、教員が十分な配慮の下に創意工夫を重ねる必要のあることを先に述べたが、そのような配慮のあることを学生は知るべきなのか、知るとしたらどのような働きかけによってそのことを知るのがよいのか、そのことをあらかじめ考えておく必要がある。いや、そればかりか、学生が教員による働きかけを認識したうえで、それに応じるのみならず、今後のさらなる改善のために、どのような働きかけが自らの学びに効果的であるのかを教員に対して積極的に伝えるように教員は強く求めるべきなのか、ということも検討すべきことである。この「働きかけ」が教員から学生に向かって強くなされるとき、学生は教員によって何事かに「巻き込まれる」と感じるに違いないが、「巻き込まれている」という感覚が学生の主体性、自発性を損なうのは十分に懸念されることである。同時に、学生に強く働きかけたり、意見などを求めたりするのは、教員にとっても、これを継続するのは決して容易なことではない。強い意志を持って働中部大学教育研究No.20(2020)―8―

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