中部大学教育研究20
159/168

先に述べたように、研修最終月の3月には、英語教授法について学ぶ大学院生を対象とした授業(TESOLForum)において90分間の講演を行った。また、同内容を収録したオンライン教材を作成し、新型コロナウイルスの状況下で授業に参加できない学生に講演を配信した。これらの経験は、今後本学の学生の指導を行ううえでも非常に有益なものである。4リーズでの暮らしここまでは研究内容を中心としてリーズでの滞在を振り返ってきたが、本稿をお読みいただいている方のなかには、むしろ私の英国での「失敗談」にこそ興味がある方もいらっしゃるかもしれない。ご笑覧いただければ幸いである。4.1引越し関連のトラブル英国での最初の住居は、大学構内の教職員専用のフラット(アパート)だった。今思えば、リビングの床が傾いていること以外は、研究に専念できる良い環境だった。このフラットに滞在できる期間は最長3ヶ月で、7月には引越しをしなければならなかった。現地の検索サイトを使って条件に合うフラットを探したが、この引越しの過程で多くのトラブルを経験した。最初に見つけた不動産会社では、実際の部屋を見ていないにもかかわらず3月まで8ヶ月分の滞在費の全額前払いを要求され(母国から支援を受けている研究者や留学生にはよくある話らしい)、周囲の先生の勧めもあってこの不動産会社との契約は諦めた。この判断は正解だったのだが、その後の家探しには非常に苦労した。新しく見つけたフラットは、部屋や家具も新しく、立地も良い部屋だった。しかし不動産会社の対応がよかったのは最初だけで、その後の対応には辟易した。最も驚いたのは、引越し当日になっても何の連絡もなく、とりあえず鍵を受け取りに不動産会社に直接出向くと、つい先日まであったはずの会社がそこにはなかったことだった(写真4)。最初何が起こったのかわからず、本当に夜逃げでもされたのかと思ったが、電話をすると「移転した」とのこと。何の事前連絡もなしに。思えばこれがすべての始まりだった。引越し後の夏は、絶えず住居関係のトラブルと葛藤し続けることになった。窓からの水漏れで汚れるソファ、きまって毎週金曜の夜に悩まされる騒音、最終的に2ヶ月以上かかった郵便受けの鍵の受け取り、LEDなのに切れる電球、少しずつ壊れているテレビやオーブン。しまいには不動産会社の担当者が離職して突然連絡が途絶える(問題のある担当者だったらしい)、など「海外に住むのはこんなに大変だっただろうか…」と思うことばかりだった。11年前にも同じ英国のエディンバラに4ヶ月間滞在したことがあったが、その時はホストファミリーとの生活だったため、当時の自分がいかに守られた生活を送っていたかを身にしみて感じることになった。とはいえ、この引越し関連のトラブルのおかげで(?)、交渉のための英語力は間違いなく向上した。この引越しは決して忘れられない思い出になった。4.2人脈を広げるうえでの悩み海外生活で人間関係を築いていくのは容易なことではない。渡英直後は、大変ありがたいことにHanks博士の家族や友人らとの交流機会をいただいたが、それ以上に人脈を広げて海外で充実した生活を過ごすことは、短期間で実現できることではない。普段は学生に対して、「留学さえすれば友人や恋人ができ、英語も自然に話せるようになるなどまったくの嘘だ」(現地の人と交流する機会は自分自身で見つけなければならないため)などと偉そうに語っているが、いざ自分がその立場に置かれると、自分自身の言葉の重みを痛感する。春先には悩むこともあったが、自分から歩を進めるしか選択肢はなかった。大学関係者が集う会に参加したり、大学の言語センターにlanguageexchange(英国人との言語交換)の可能性について尋ねたり、リーズ市内で開催されているESOL(英語以外の言語を母国語とする人たちのための無料英語講座)に積極的に参加するなど、人脈を広げるために地道に足掻き続けた。最終的には、Hanks博士の家族や友人らと素晴らしい時間を過ごすことができたことに加えて、大学関連やlanguageexchange関連、ESOL関連、出産・育児関連など、学内外で様々な交流を深め、多くの友人や研究者仲間ができた(写真5、6)。リーズにほとんど知り合いのいなかった私がこれほど多くの方との出逢いに恵まれて充実した生活を築くことができたのは、本当に幸運であったし、またそれが自信にもなった。英国リーズでの滞在を振り返って―141―写真4「あったはず」の不動産会社

元のページ  ../index.html#159

このブックを見る