中部大学教育研究18
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そういうわけではない。別府恵子・渡辺和子編の『新版アメリカ文学史:コロニアルからポストコロニアルまで』で記されているように、1960年代から70年代にかけての公民権運動、大学紛争、女性解放運動などを契機にして、大学のカリキュラムの解体、再編成が起こった。そして、それまでの白人男性中心主義がゆらぎ、長く沈黙を強いられてきた少数派民族、女性、あるいは同性愛者などの少数者の立場から「アメリカ文学の再構築」が模索されるようになる2)。その結果、80年代以降はアメリカの大学においてはキャノンの大幅な組み替えがもたらされたのである。キャノンの組み替えについては、筆者もアメリカの大学で身をもって経験し、その変化に驚いたことがある。そこで、その個人的な経験に触れながら、キャノンの変遷について述べる。筆者は1979年にUniversityofMichigan大学院英文学修士課程に在籍しており、「アメリカ小説」というコースを履修した。この授業の担当はジョセフ・ブロットナー教授で、彼はフォークナー研究の権威であり、フォークナーと個人的に親しかった友人としても著名であった。そのような教授の教えるコースであるから、この授業で扱われる作品こそアメリカ文学を代表するキャノンである、と筆者は疑いもなく信じていた。ここに、ブロットナー教授のコースで取り上げられていた作品を思い出すままに列記してみたい。1学期間に、この授業で読んだ記憶がある作品は、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』(TheScarletLetter,1850)、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』(Moby-Dick,1851)、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』(TheAdventuresofHuckleberryFinn,1885)、セオドア・ドライサーの『シスター・キャリー』(SisterCarrie,1900)、シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』(Winesburg,Ohio,1919)、シンクレア・ルイスの『メイン・ストリート』(MainStreet,1920)、F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』(TheGreatGatsby,1925)、アーネスト・ヘミングウェイの『日はまた昇る』(TheSunAlsoRises,1926)、ウィリアム・フォークナーの『八月の光』(LightinAugust,1932)、ナサニエル・ウェストの『いなごの日』(TheDayoftheLocust,1939)、ラルフ・エリソンの『見えない人間』(InvisibleMan,1952)の11作品である。これ以外にも記憶から漏れている作品があるかもしれない。さて、その後ちょうど20年を経た1999年の夏、筆者はIndianaUniversityofPennsylvania大学院英文学博士課程に入学し、アメリカの大学で再びアメリカ文学のコースを受けることになった。その時の授業で扱われた作品は、20年前にブロットナー教授の下で学んだ作品とは大きく様変わりしていた。どの授業のリーディング・リストにも、筆者にとっては耳慣れない名前の作家が多く取り上げられていた。ちなみに記憶をたどりながら、19世紀半ば以降の小説の分野だけに限定して、それらの作家の名前を挙げてみる。その作家たちとは、サラ・オーン・ジュエット(18491909)、ケイト・ショパン(18501904)、シャーロット・パーキンス・ギルマン(18601935)、ゾラ・ニール・ハーストン(18911960)、ネラ・ラーセン(18911964)、マキシン・ホン・キングストン(1940)、レスリー・マーモン・シルコウ(1948)、サンドラ・シスネロス(1954)などである。これらは複数のアメリカ文学のコースで取り上げられていた作家であり、他にも筆者にとって初めて耳にする作家もいた。これらの作家たちに共通することは、まず全員が女性であること、そして少数派民族出身者が多くを占めていることである。ゾラ・ニール・ハーストンとネラ・ラーセンはアフリカ系アメリカ人作家、マキシン・ホン・キングストンはアジア系アメリカ人作家、レスリー・マーモン・シルコウはネイティブ・アメリカ人系作家、サンドラ・シスネロスはラテン系アメリカ人作家である。先に示した、1979年当時のUniversityofMichiganでブロットナー教授の取り上げた作家たちは全員が男性で、しかもラルフ・エリソン以外はすべて白人の作家であった。それとは対照的に、1999年のIndianaUniversityofPennsylvaniaの授業で筆者の目に留まった作家たちは、全員が女性であり、その多くがマイノリティ出身者だったのである。このことは、白人男性中心主義によるアメリカ文学史やキャノンの形成のプロセスを、少数者の立場から読み直そうという1970代以降の機運が結晶した表れといえよう。井上健が指摘するように、80年代以降の、文化研究、フェミニズム批評、新歴史主義批評の興隆とも相まって、アメリカのアカデミズムにおいてはキャノンの大幅な組み替えがもたらされ、その結果、それまで文学史や文学研究から排除されていた、少数派の文学が相当数、救い出された。この動向はほぼ10年遅れで日本にも及び、文学研究や文学批評の対象を大きく様変わりさせた。このようなキャノンの組み替えに関しては、賛否両論がある。反対派の人々は新たにキャノンとされた作品の質に疑問を呈する。文化の多元性に留意しつつも、文学作品の質にもこだわり、いかにこの二つを両立させて文学を研究していくかが今日的な課題となっている3)。キャノンの組み替えについて、日本のアカデミズムにおいて、その意見を鮮明に表明した研究者に渡辺利―18―中部大学教育研究No.18(2018)

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