中部大学教育研究18
25/122

1はじめに英語英米文化学科においては、2年次に「英米の文学」という科目を設けているが、春学期開講の「英米の文学A」はイギリス文学を教えるコースであるのに対して、秋学期開講の「英米の文学B」はアメリカ文学を講じるコースである。本稿は「英米の文学B」でアメリカ文学を教える際に、筆者がどのような考えに基づいて、どのような作品を教材に選んでいるかを述べ、それぞれの作品ごとにその選択の理由を記すものである。さて、英語英米文化学科においては、「英米の文学」は文学作品を通して学生に英語圏の文化を理解させる授業という位置づけである。したがって、「英米の文学B」の授業で取り上げる作品は、その作品の学習を通じてアメリカ文化への理解を深めるものでなければならない。それでは、そもそも文学作品を通じてアメリカ文化を理解するとはいかなることを指すのか。これは簡単には答えられない問いであるが、あえて単純化して言えば、文学作品の主人公が経験する葛藤を通して見える社会の有り様や価値観を読み取り、それを文化の一様相として捉えることだと筆者は考える。一つの作品がアメリカ文化の一様相を描くのだとすれば、複数の作品によって文化の様相はさらに多層的に見えてくるはずだ。では、一学期間で取り上げる複数の作品とはアメリカ文化についてのどのような観点に基づいて選ぶべきなのか。そして、各作品がそれぞれ選択される根拠とは何か。本稿は以上の点についての筆者の実践を報告するものである。2キャノンをめぐる論議ここで、アメリカ文学で何を教えるべきかという、いわゆるキャノン(正典)をめぐるアメリカのアカデミズムにおける論議について言及したい。そもそもキャノンとは何かという定義について見ていこう。用語解説サイト「コトバンク」の「キャノン」の項目における井上健の記述によると、この言葉はもともと聖書の外典に対して、公認された正典を表す語で、転じて標準、基準を意味するようになり、さらに現代文芸批評では、アカデミズム、教育機関等において、偉大な、学ぶに値するとして権威づけられた文学作品を指すようになった1)。では、いったんキャノンとして認定された作品がずっとその地位を占め続けるかというと、―17―アメリカ文学:教材とする作品をどう選ぶか-文学作品を通して教えるアメリカの多文化社会-島津信子*要旨本稿は人文学部英語英米文化学科において、2年生対象の科目「英米の文学B」でアメリカ文学を教える際に、筆者がどのような考えに基づき、どのような作品を教材としているかを記すものである。アメリカ文学のキャノンの見直しは、公民権運動後、特に80年代以降、アメリカのアカデミズムで、そして日本の高等教育の場においても様々に論議されてきた。従来の白人男性作家に替わり、女性や少数派民族の作家の著作が新たなキャノンとされる一方、このことに異議を唱える研究者も存在する。筆者は文学を通して文化を理解する立場から多文化主義の観点に立ち、以下の四作品をアメリカ文学の授業の教材としている。それらは、ルイザ・メイ・オルコット作の『若草物語』(LittleWomen,1868)、F・スコット・フィッツジェラルド作の『グレート・ギャツビー』(TheGreatGatsby,1925)、アリス・ウォーカー作の『カラーパープル』(TheColorPurple,1982)、エイミ・タン作の『ジョイ・ラック・クラブ』(TheJoyLuckClub,1989)である。本稿はそれぞれの作品ごとにその選択の根拠も提示している。キーワードアメリカ文学授業、キャノン、シラバス、多文化主義、マイノリティ文学*人文学部英語英米文化学科教授

元のページ  ../index.html#25

このブックを見る