中部大学教育研究17
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ある。ここでシェイクスピアの偉大さを列記するつもりはないが、彼こそ真に人間を描くことのできた作家といえるだろう。人間の気高さから矮小さまでを描き、悲劇、喜劇、史劇、そしてダーク・コメディまで自在に書き分け、人間の真実に迫った稀有な作家、それがシェイクスピアなのである。学生はせっかく英語と英語圏の文化を学ぶ機会に恵まれているのであるから、シェイクスピアについても何かを知りえたという誇りをもって、英語英米文化学科を卒業していってほしいのである。そして、シェイクスピア作品の学習を通して、テキストの主題解釈についても理解を深めてもらいたいのである。上記のような考えから、「英米の文学A」の授業ではシェイクスピアの作品を取り扱っているが、実際の授業では、学生が興味と集中力を失わないように、さまざまな授業活動を次々に展開している。その活動には、「あらすじ」の朗読、登場人物の関係図の作成、映画の視聴、小テストの実施とその解答、抜粋場面の読み合わせ、質問やコメントの記入、それに基づくディスカッション等があるが、その多くは隣席の学生とペアを組ませて行うものである。このような活動を通じて、学生には「あらすじ」から「登場人物の分析」へと作品理解の道筋を示していく。シェイクスピアの数々の戯曲の中から、この授業で取り上げるのは『ロミオとジュリエット』と『テンペスト』の二つの作品である。『ロミオとジュリエット』はシェイクスピアがそのキャリアの最初の頃に書いた作品である。世界的にも有名なこの悲恋の劇については、恋愛を取り上げていること、そして主人公の年齢が自分たちに近いことから、学生たちは直ちに興味を示す。まさに、シェイクスピア劇への導入を担うには最適の作品だといえる。もう一つの作品である『テンペスト』は、シェイクスピアが単独で書いた最後の戯曲と言われており、彼が晩年に至ってたどりついた人生哲学が反映されている。これらの戯曲を理解しやすくする手助けとして、授業ではそれぞれの映画化作品を使用している。その上で、『テンペスト』については必ず原作を読むことを義務付けている。そして、学生に原作と映画との相違点を熟考させることにより、作品の「主題」解釈へと彼らを導いていくのである。『テンペスト』においては、この作品の主人公プロスペローが魔術を棄て去る心情と、作者シェイクスピアが長年の執筆活動を終えてペンを置こうとする心境を重ね合わせてテキストを解釈するという伝統的な見方をまず紹介する。それは、人間悪のもたらす悲劇に対して、シェイクスピアは『あらし』において、「復讐よりは気高い行い」として「許し」を選ぶ主人公を描いたとする読み方である。そしてプロスペローは魔術を棄て、罪にまみれた人間同士が許し合い、ひたすら神に祈る現実世界へともどっていくという解釈である。その後、もう一つの解釈として解説するのがポストコロニアリズムの批評理論に基づく『テンペスト』の主題の読み解き方である。それは、プロスペローを全能者としての高い地位から「簒奪者」という地位に転落させる見方である。このポストコロニアリズムの視点に基づく主題の解釈へ学生を導く上で、原作と映画の比較が欠くべからざるものになる。以上、シェイクスピアを専門に研究したわけではない筆者が、英文学専攻者ではない学生に対して、シェイクスピア作品を取り上げて行う「英米の文学A」における授業活動を記してきた。これらの活動を通じて、この授業で究極的に学生へ伝えたいことは、文学作品にはいくつもの読み方が可能であり、たった一つだけの正しい読み方というのは存在しないということである。同時に、テキストの解釈は読者の手に委ねられており、読者がテキストに積極的に関わってこそ、文学解釈の真の楽しさを実感できるのだということも、学生に理解してもらえるように努力しているのである。引用文献1)青山誠子(2013)『シェイクスピアいろいろ』東京:開文社出版2)朱雀成子(2006)『愛と性の政治学-シェイクスピアをジェンダーで読む-』福岡:九州大学出版会3)「ポリティカルコレクトネス」『デジタル大辞泉』(2013)東京:小学館4)井出新(2017)「シェイクスピアの教室-作品との対話を深めるために」日本英文学会関東支部編『教室の英文学』東京:研究社―74―中部大学教育研究No.17(2017)

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