中部大学教育研究17
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アで撮影を行い、主役を演じる男女の俳優も撮影当時の年齢がそれぞれ17歳と15歳で原作の登場人物の年齢に近い等、比較的、原作に忠実なストーリーの再現をしているからである。したがって、他のバージョンよりもこの映画を視聴するほうが、学生にとって物語を理解しやすいと考えるからである。一方、『テンペスト』の授業では、原作を翻案した、時代背景や物語の設定がまるで違っている映画を使用している。そのため、学生にとっては映画を見てもすぐに原作の理解の手助けになるというわけではなく、逆に原作と映画の違いに戸惑い、両方の話を混同する者も少なくない。それにも関わらず、原作からかけ離れた映画を使用しているのには明確な狙いがある。その目的とは、つまり、学生たちに原作と映画の違いを深く考えさせることにより、彼らを『テンペスト』の主題を読み取る学習へと導くことなのである。ここで、「英米の文学A」の授業で使用している映画『テンペスト』について、簡単に紹介しておきたい。この映画はジャック・ベンダー監督の下、1998年にテレビ映画として製作された作品である。老年期にある主役プロスペローを務めるのは、1969年公開の映画『イージー・ライダー』で主役の若者の一人を演じたピーター・フォンダである。この映画『テンペスト』では、シェイクスピアの原作の骨格は残しているものの、物語の舞台となる場所や時代背景がまったく原作とは異なっている。では具体的に、原作と映画との違いを見ていこう。まず、物語の舞台はアメリカの南部であり、時代は南北戦争の頃という設定である。以下に話の概要を記すが、当然ながら、登場人物の名前は英語風に変えられている。主人公は裕福な南部の農場経営者プロスパーで、彼は弟のアンソニーに農場の経営を任せて、自分は黒人の女奴隷エゼリからアフリカ伝来の黒魔術を教えてもらうことに熱中するうちに、弟に経営の実権を握られる。さらに、プロスパーは弟に対し、エゼリの息子エアリアルを人道的に扱うよう主張するが、黒人を道具としか思わないアンソニーはそれに反対し、エアリアルを殺害しようとする。この時はプロスパーがエアリアルの命を助けるが、今度はプロスパー自身が弟により暗殺を企てられる。幸いにも、エゼリの魔術のおかげでプロスパーは命を取りとめて、忠実な使用人ゴンゾの助けを借り、娘のミランダと共に故郷から逃れる。そして、ある沼地へとたどり着くと、その地で黒人奴隷のエアリアルと先住民のワニ男(キャリバン)を支配しつつ、娘の養育に心を砕いて12年が過ぎるのである。そんな折、弟のアンソニーが南軍のスパイとして北軍に近づこうとして、プロスパーの領地を通りかかる。プロスパーは魔術により嵐を起こして弟に復讐しようとする。その後、様々な出来事の末に、プロスパーは配下の者たちを彼の支配から解き放ち、故郷の農場へ帰る決心をする。彼が解放する者の中には娘のミランダも含まれる。彼女は北軍兵士と巡り合い恋に落ちるが、プロスパーは若者たちの婚約を認め、娘の自立を許す。以上、後半はかなり端折ったが、映画の内容はこのようなものである。さて、この映画の視聴、さらに前述の授業展開の各段階を経て、学生には作品の「主題」を考えさせる。学生の多くは、『テンペスト』において敵対する登場人物の和解が成立し、若いカップルの婚約を祝して物語が終わることに満足だという。主人公の示す「許し」の美徳で劇が大団円を迎えることに、彼らは安堵と心地よさを覚えるというのである。ここで、『テンペスト』の主題として伝統的に受け入れられてきた解釈を、学生に対して解説している。それは青山誠子が指摘するように、長年、人間悪のもたらす悲劇に対して人間の対処すべき道を追及してきたシェイクスピアが、『あらし』に至り、「復讐よりは気高い(nobler)行い」として許しを選ぶ主人公をはっきりと示したとする読み方である。そしてプロスペローは、神のような力や知恵の極致たる魔術(アート)も結局は棄てて、罪と欠点を免れ得ぬ人間同士が許し合い、ただひたすら神に祈る平凡な現実世界へともどっていくという解釈である1)。この読み方を理解させるために、なぜ映画の背景が南北戦争の時代であるのかを、学生たちに考えさせている。南北戦争はアメリカが国家として経なければならなかった内戦であるが、いつの時代、どこの国においても、同じ国民が血で血を洗う戦争をしなければならないというのは悲劇である。そして、その戦争が人々にもたらす傷は他国との戦争がもたらす打撃よりも、はるかに深く甚大である。なぜならば、これは兄弟の間の争いであり、そのような戦争の残酷さと無意味さは明白だからである。そして、この「内戦とは兄弟の間の戦い」という視点を提起すると、学生たちは原作において兄プロスペローが弟アントーニオを許そうとする心情を理解するのである。このように、映画における原作との違いを考察させることは、学生を主題読解の学習へと導く上で有効であるが、その読み方を伝統的な解釈だけに留めず、他の読み方の可能性についても、原作と映画との比較を通して指摘している。そして、この授業で他の解釈として紹介するのがポストコロニアリズムの批評理論に基づく『テンペスト』の読み方である。朱雀成子が解説するように、元来、プロスペローが支配する島はキャリバンが母親のシコラクスから譲り受けたものであり、プロスペローはかつて弟のアントーニオがミラノ公国―72―中部大学教育研究No.17(2017)

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