中部大学教育研究17
81/224

1はじめに英語英米文化学科においては、2年次に「英米の文学」という科目を設けている。春学期には「英米の文学A」、秋学期には「英米の文学B」を開講しているが、その違いとして、学生は「英米の文学A」ではイギリス文学を学ぶのに対して、「英米の文学B」ではアメリカ文学を勉強するということである。本稿は「英米の文学A」という科目の下で、英文科ではなく、英語英米文化学科の学生に、シェイクスピアを教えるという試みについて記すものである。さて、「英米の文学」という科目はあくまでも英語圏の文化としての文学を取り扱う授業であるので、どこまで深くシェイクスピア作品を取り扱うかという点では限界がある。そして実は、教える私自身もシェイクスピアを専攻した者というわけではない。ただし、アメリカの大学院博士課程において、英米文学の年代別の代表作家の作品について、一連の試験を経てきており、その中には当然、シェイクスピアも含まれている。さらに、修士課程における専門が現代英米演劇だった関係で、ロンドンでの観劇を重ねてきたこと、そして授業で戯曲を取り上げ、学年末の発表会で英語劇上演の指導をしてきたことは事実である。だが、筆者がシェイクスピアの専門家でないことに変わりはなく、本稿はそのような教員がかなり単純化した形で、英文学専攻者ではない学生にシェイクスピアを教えるという授業の報告であることを明らかにしておきたい。ところで、映画や漫画、そしてインターネット上の動画なら見るが、本は読まないという学生たちに、そもそも文学を教えることだけでも十分なチャレンジである。それなのに、学生には現代文学よりも馴染みが薄いであろうシェイクスピア作品を、なぜ教えるのかという点について考えを述べたい。というのも、「英米の文学A」はイギリス文学を取り扱い、教職課程履修者にとっては必修科目であるが、その内容についての縛りはなく、担当教員が自由にデザインできるので、シェイクスピアを避けて通ろうと思えば、それも可能だからである。実際、「英米の文学A」のような科目では、ともすればイギリス文学史上のキャノンと目されている作品を羅列して、その概要を講義することにより、イギリス文学史の知識をつめこむことに傾注する授業展開もありうる。だが、「英米の文学」の授業で、作品の鑑賞なくして、文学史の知識だけを得るというのは、学生にとっても非常に残念なことだと筆者は思うのであ―67―シェイクスピアの世界への誘い-『ロミオとジュリエット』と『テンペスト』を読む-島津信子*要旨本稿は人文学部英語英米文化学科において、2年生を対象に開講する科目「英米の文学A」で、英文学専攻者ではない学生に対してシェイクスピア作品を教える授業の報告である。授業ではシェイクスピアの戯曲、特に『テンペスト』に触れることにより、文学の学習上で重要な主題解釈への導入教育を行なっている。この授業で取り扱うシェイクスピア劇は二つで、『ロミオとジュリエット』と『テンペスト』である。学生の理解を助けるために、両方とも原作の映画化作品を使用している。授業では映画を視聴させつつ、さまざまな活動を次々に展開して、学生の興味と集中を持続させるよう工夫している。『テンペスト』を取り上げる際には、原作と映画の相違点を比較させつつ、文学作品における主題解釈の多様性を理解させ、社会的・政治的なテキストの読み方についても提示している。さらに、テキストの解釈は読者の手に委ねられており、ゆえに読者のテキストへの積極的な関与が文学鑑賞には不可欠であることを説いている。キーワード英文学授業、シェイクスピア入門、『ロミオとジュリエット』、『テンペスト』、主題読解*人文学部英語英米文化学科教授

元のページ  ../index.html#81

このブックを見る