中部大学教育研究17
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プロジェクトAの概要と具体的な授業内容を述べた。ここからは、発案者の一人である中山紀子がハイブリッド・プロジェクト誕生の経緯を述べたい。いわば、ハイブリッド・プロジェクトの舞台裏ともいえるが、その産みの苦しみを描くことによって、特徴と重要性がよりよく理解されると思うからである。伊藤と描写が被る、あるいは着目点が異なることがあるが、ハイブリッド・プロジェクトを複眼的にみるということで了解いただきたい。最初のきっかけは、学生たちの発言だった。2014年1月に中部大学開学50周年・国際関係学部創設30周年記念事業の一環として、国際関係学部夢構想シンポジウム「『国際』という夢をつむぐ」が開催された。そのときに6人の学生が国際関係学部におけるそれぞれの学びについて素晴らしい発表をしてくれたが、個々の発表で終わり、相互にコメントしあう時間はなかった。夢構想委員であった私は、それを惜しんで、発表者の学生によびかけて別の日に座談会を開いた。その座談会で、どんな授業があったらもっとよかったかという質問をしてみた。そのとき聞いた学生の意見が、「オープンキャンパスのときのように、いろんな先生がいろんなテーマを話しているのがいい」とか「先生と先生がどのように議論するか見てみたい」というものだった。国際関係学部のオープンキャンパスでは、広めの場所にいくつかテーブルを置き、それぞれのテーブルで先生が高校生相手にその高校生の興味にあった話をしていた。国際文化学科では当時それを「オンデマンド・ミニ講義」と呼んでいた。学生の希望に合わせて講義を成り立たせるのは、中部大学の謳い文句である「テーラーメイド」教育にもあっていた。ただ、オープンキャンパスでは、おおむね一人の先生が話していたので、それを複数の先生にしてみることにした。このアイデアをもって、今度は学部の教員に、自分の教えられるテーマ、興味のあるテーマ、学生に興味をもってほしいテーマなどを、〇〇先生と一緒の場合と一人で教える場合とに分けて考えてもらった。授業初日に学生の前で複数の教員が上述の自分の複数のテーマを書いた紙を学生に配布し、受講した学生がそれらをもとに、自分の興味にあった教員に質問したり、〇〇先生と〇〇先生の組み合わせで△△のテーマで話してほしいなどの希望を述べあうのだ。受講したすべての学生の希望を板書し、それらをもとに学生同士、あるいは指名された教員も含めて、次回にどのような組み合わせでどのようなテーマを話し合うかを議論して決める。いわば毎回毎回1週間前に「オンデマンド・ミニ講義」のテーマが決まる。学生にとっては自分たちの希望するテーマがその都度議論によって決まる即興性をもつものになる。学生たち自身が、授業内容を決める「メイキング・オブ・授業」の監督であり、主役になるのである。私の頭のなかにはずっとこのような、学生の言った「先生たちがあちこちのテーブルでいろんなテーマを話し合っている」というオープンキャンパス風のイメージがあったが、実際のハイブリッド・プロジェクトAでは受講生数が多くなかったこともあり、授業開始直前に、クラスの分割をやめ教員と学生がつねに一堂に会す形式に方向転換した。このようにひらめいたのは、国際関係学部国際学科の最新パンフレット「地球を丸ごと学びつくせ!」のハイブリッド・プロジェクトを紹介する写真を思い出したからである。写真では複数の教員と複数の学生が一つのテーマを楽しそうに話しあっていた。クラスを分割しなかったことは結果的に非常によかった。教員の数が多ければ多いほど、多様な意見が飛び交うことにつながった。しかし、そもそもハイブリッド・プロジェクトのコンセプトは、担当教員たちにすぐに理解されたわけではなく、否定的な反応が多かった。そのなかの「複数の教員がいくつかに分かれて学生の発表にコメントすることで、ハイブリッド性は事足りるではないか」という意見に対して、私はそれはどこか違うと感じた。そうであれば、すでに卒業研究や演習などで行われている指導と大差ない。昨今流行りのアクティブラーニングは学生の主体性を標榜しているが、たんに学生の主体性に「任せる」だけでは、いい発表は決して出てこない。むしろ、学生に教えるべきは、議論することの面白さ、考えることの面白さであり、自分に知識があればもっと面白くなりそうだと実感させることだ。学生による発表はずっと後でいい。まずは、学生が自分のふと呟いた言葉が先生たちのいろんな反応を引き起こすことを目の当たりにすることである。教員はそれぞれ自分の学問分野に引き付けて、学生の何気ない言葉から話を広げ、伸ばし、料理していく。ときに教員同士で異なる見解をもち、火花が散ることもある。学生は、どうやら答えはひとつとは決まってないらしいと気づいていく。ポイントは、教員自身がその議論を楽しむことである。自論を熱く語ることである。学生に気を遣う必要はない。学生に見せるべきは、議論に熱くなっている教員の姿だからである。したがって、テーマはなんでもよい。知識の伝授ではなく、姿勢への共感こそがハイブリッド・プロジェクトの肝だからである。学部長の「新奇であればあるほどいい」という言葉にも助けられた。別の否定的な意見は「教員だけが熱くなって、学生が白けてくるのでは」というものだった。これは私にもどうなるか読めなかった。しかし、このような授業を求めている学生は必ず存在すると信じていた。前述―50―中部大学教育研究No.17(2017)

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