中部大学教育研究17
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ことは、履修した学生の積極性と教員の多方面にわたる知識の網羅があってこそだと感じた。第2講での提起から、国家の格差が論じられ、差別、不自由といった内容から「自由」というキーワードが取り上げられ、以降の授業では、さまざまな「自由」が提起された。(表2を参照)毎回の授業の最後には、話題に対して感じたこと、議論を重ねて得た知識や思ったことをレポートとして提出させた。その一例として、表4および表5を挙げる。表4では、国歌の違いから、国歌と国家の結びつきが取り上げられている。国歌とは何か、国歌の意味とは、といった社会的な分野に及んでいることが窺える。国歌の違いを示すことで、その国歌の歴史的背景や国民性といった範囲に疑問を抱き、学生自らが調べて発言する動きが見受けられた。それは学生だけではなく、教員にもその動きがあり、第3講では第2講の内容を受けて、同じテーマで異なる国の現状が報告されることとなった。「短調は暗いのか」「そもそも国歌はいるのか」といった議論に及んだ際は、当たり前と思っていた常識が、実は国際的には非常識であったり、日本独自の考え方であったりするのだと思い知らされた授業となり、ものの見方や姿勢を改めさせられた。学生もショックを受けたことがレポートからも窺える。表4でも多方面に議論が及んだことが窺えたが、第3講を終えて書かれたレポートでは、一定の方向性が生まれたことが窺える。それが表5であるが、国歌から国旗に話が移り、国民を束ねるツールとしての機能を議論することになり、「違い」を明確化することで生む団結力、結束力、差別化、衝突、排除といった社会的問題に議論が及んでいった。教員Lの「SignificantOthers(重要な他者)」という発言には、全員が共鳴した。他者の存在が己を知ることにつながり、己の存在は他者の中にあることを理解し、常識にとらわれず、物事を多角的に見ようという考えが、学生だけでなく教員にも芽生えていった。―47―ハイブリッド・プロジェクト始動!ABC95DEFGHIJKLM NN表3第1講時のレポートより(2016.9.21)

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