中部大学教育研究17
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巻頭言中部大学の教育研究のさらなる発展に向けて中部大学大学教育研究センターでは、高等教育に関する研究成果、教育に関する分析研究、実践報告を広く学内外に知らせるために、2001年に『中部大学教育研究(JournalofChubuUniversityEducation)』を創刊し、発行してきました。この間、『中部大学教育研究』は大学教育の理念・手法・改善策などを論じ合う場を提供し、大学教育における改善・質的向上に役立ってきたといえるでしょう。さらに活用を促すために、掲載された論文等は中部大学学術情報リポジトリに登録されています。中部大学における教育改革の歴史は古く、すでに、中部工業大学の時に『教育資料』を創刊(1979年4月)しており、いまその足跡をたどってみると、高等教育における教育のたゆまぬ改善の意気込みを感じることができます。『教育資料』創刊号には、徳廣龍男による「日本の大学」、唐澤惟儀による「革新教育への提言」、中野伸平による「当大学の教育上の諸問題とその考察」、三上修による「学生の専門科目理解の現状」、渡邉誠による「工業化学科学生の現状」等が掲載され、当時の高等教育に対する思いは今にも通じるものがあります。5学部を擁する総合大学となったことを機会に、『教育資料』に「研究論稿」「海外便り」「エッセイ」「研究ノート」を加えて『中部大学教育研究』として発展していきました。明治以来、欧米の制度を取り入れ、人材育成に対する“Education”の言葉に、すでにあった「教育」の言葉を当てはめたために、大学における学びについての概念がゆがめられてきたのかもしれません。中国から入ってきた、「教育」の概念には、「上から下に教え、行いの正しい人間にし、知識を授け、感情を豊かにし、体を健康にする」と言う意味がありました。個人の持てる才能を引き出す意味を持つ“Education”とは概念が異なっていたのです。私自身、アメリカの大学で教育に関わる機会があり、また我が子がアメリカの学校で勉強する様子を見るにつけて、“Education”の意味を考えるようになりました。福沢諭吉は「学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字はなはだ穏当ならず」(文明教育論福沢諭吉、1889)と言っています。福沢諭吉は明治時代にすでにそのことに気がついていたわけです。中部大学では、教育の意味を再考し、個人の中に生まれつき持っている個性や天賦の才能を引き出すことができる教育環境を整え、教員・職員・学生が共に学び、学び続ける場を作り出していきたいと考えています。『中部大学教育研究』は、実践を通したこれからの高等教育のあり方を考える、議論の場としてこれからも重要な役割を担うものと考えています。2017年12月中部大学長石原修

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