中部大学教育研究15
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そのようなとき、アリソンは別の目的で来日した際に、日本の開業助産師のケアを見学して、「まさに日本の助産師のようなケアが必要だ」と大変感銘を受け、本プロジェクトを発起したそうだ。数年前、筆者はこの話を聞いて、日本の助産師として大きな喜びと誇りを感じるとともに、「でも自分は全くその域には達しないまま、教育の現場に来たなあ」と恥ずかしさも感じたのを覚えている。さて、今回同行した助産学生はAnaya(アナヤ)とAllie(アリー)の2名で、アナヤは元高校教師で二児の母、アリーは開業助産師を伯母に持つ女子学生であった。アリソンは大学から研究助成金を得て、助産学生を3年前から2~3名ずつ研修のために同行させている。学生は日本の助産ケアを肌で感じ、直接学ぶことができるうえに、研修にかかる渡航費、宿泊費が助成されることもあり、「志願者が多くて選ぶのが大変」とのことだった。選抜方法を尋ねたところ、志望動機や研修目的などを問う面接と小論文ということだった。今年はThe11thICMAsiaPacificRegionalConference(第11回ICMアジア太平洋地域会議・助産学術集会)が、アリソンらの視察の1週間後に横浜で開催された。アナヤとアリーは国際学会に参加するという機会にも恵まれ、「とてもラッキーだし、アリソンにとても感謝している」と目を輝かせていた。偶然であるが、母性看護学領域で取り組んでいる研究課題が平成27年度からCOC地域志向教育研究経費に採択されたため、母性看護学のゼミ生のうち、助産師志望の学生5名を同じ学会に参加させることにしていた。アリソンとはこの件でも話が盛り上がった。4施設訪問4.1ゆりかご助産院最初の訪問先は、岐阜県各務原市にあるゆりかご助産院だった。平成27年2月末に、アリソンから「今年は是非愛知の助産院を見学したいので、紹介してほしい」と依頼があった。幸い愛知県には助産院が複数あるため、愛知県助産師会の知人の開業助産師に依頼した。すると、「私のところは母乳相談や育児相談が主だから、分娩介助をやっているところがいいだろう」とゆりかご助産院の赤塚庸子院長を紹介してもらった。さて、どのように依頼したらよいものかと考えていると、ちょうど筆者が3月に中部大学の名古屋キャンパスで開催した「帝王切開分娩の情報提供のあり方を考えるシンポジウム」の参加申込者の名簿に赤塚先生のお名前を発見し、喜んだ。開催当日、休憩時間に赤塚先生を探し出して依頼し、快諾を得て、今回の訪問となった。電車とタクシーを乗り継いで現地に到着すると、アリソンたちは助産院の佇まいとかわいらしいロゴマークの入った看板に見とれ、早速記念撮影していた。写真1右からアナヤ、アリソン、“YaleMidwifery”のロゴ入りTシャツを着ているのがアリーゆりかご助産院は開院以来10年経過しており、分娩は年間60件前後あり、赤塚院長の他2名の助産師によって運営されている。一足違いで妊娠36週の方の妊婦健診が終わったところだったが、その妊婦さんも交えて助産院の概要やこの地域での母子保健システム等について説明をいただき、妊婦さんに質問することもできた。赤塚先生は「若いころはJAICAに行きたかったのよ」とおっしゃるほど、もともと海外での活動に関心があったそうで、英語を交えて説明してくださった。次に、赤塚先生は助産院のアルバム写真を見せながら、助産師がどのようなケアを行っているかを分かりやすく話してくださった。家族に見守られての温かい、そして女性の強さを感じさせるお産で、筆者も見入った。アナヤとアリーは赤塚先生に積極的に質問したり、メモをとったりしていて、さすがだなあと感心した。またその質問が日本の助産ケアが抱えている根本的な問題であったり、助産師と嘱託医注2)の協力体制であったりと、実に鋭かった。通訳の際、筆者の語彙力には限界があるので、「そもそもどういうことかな?」と考えて訳さねばならないため、かえって日本の抱える問題点や逆に素晴らしさを認識することができた。助産学生らは、赤塚先生がなぜ助産師になったのか、なぜ助産院を開院したのか、医師とどのように協力体制を築いているのかが気になるようだった。そして、赤塚先生の女性の産む力を信じ、憧れの先輩を目指して開業された信念の強さにすっかりファンになったようだった。アリソンも感心していたのは、嘱託医との連携である。ゆりかご助産院では妊娠期から3回は嘱託医師である岐阜市の石原産婦人科に助産師と共に健診に行き、三者の信頼関係を築いているという。「だから石原先生は『赤塚さんが大丈夫というなら大丈夫―76―横手直美

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