中部大学教育研究13
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1はじめに1.1混乱する用語2013年8月24日、25日と立命館大学において第8回目の「学生FDサミット」が開催された。2009年度の初回には100名程度だった参加者が、第8回目には全国から50大学、356名の学生・院生と97名にのぼる教職員が参集する大きなイベントに成長した。また各大学の取組主体も、岡山大学の「学生・教職員教育改善専門委員会」と呼ばれる教育開発センターの公的な委員会組織から、北九州市立大学の「学友会中央執行委員会」のような学生自治会組織、さらには岡山理科大学の「イベント企画サークル『とり、OUS』」のような学内公認のサークル団体まで多岐に渡る1)。これらすべてがいわゆる「学生FDスタッフ2)」と称し、学内の学生支援活動、授業改善活動、教育提案活動などの学生参画型FD(学生FD活動)3)に従事しているのである。「学生FDスタッフ」とはどのような団体か。どのような定義がなされ、学内でいかなる位置づけにあるのか。彼らが行う「学生参画型FD(学生FD活動)」という言葉が国内の大学教育現場で標榜され、意味が不明なまま増幅している今日、アクティブ・ラーニング(activelearning)や学生関与(studentinvolve-ment)、学生従事(studentengagement)と呼ばれる国内外の思想の動向とどのような関係にあり、また連動しているのか。さらにはピア・サポーター(peersupporter)と学生FDスタッフはその活動において違いがあるのか。あるいはこれらの活動をFDの文脈で捉えることが可能なのか。これらのことについて本稿では議論を試みたい。1.2「学生参画型FD(学生FD活動)」というあやふやな言葉2008年に改定された大学設置基準には「大学は、授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修及び研究を実施するものとする」と述べられ、いわゆるFDの義務化が盛り込まれた。しかしその年の4月10日に中央教育審議会から出された『学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)』(以後、「学士課程答申」)では、大学設置基準の文言を修正し、「FDを単なる授業改善のための研修と狭く解するのではなく、我が国の学士課程教育の改革が目指すもの、各大学が掲げる教育目標を実現することを目的とする、教員団の職能開発として幅広く捉えていくことが適当である。~中略~教員の個人的・集団的な日常的教育改善の努力を促進・支援し、多様なアプローチを組織的にすすめていく必要がある」と述べられ、大学設置基準に示された狭義のFD観を覆し、各大学の教育目標を実現するための教員団の職能開発であり、組織的で日常的な教育改善活動であるとの意味づけを与えている4)。FD自体がその定義を変化させ、発展していくことに異論はない。しかしこれらの定義から「学生が参画する」というニュアンスはまったく感じられないばかりか、教員団の職能開発として再定義されていることは注目に値する。なぜならばこの学士課程答申の前後から学生参画型FD(あるいは学生FD活動)という言葉が巷にあふれ5)、新しいFDのアプローチとして大学教育界を席巻していくからである。たとえば木野(2012)は、『大学を変える、学生が変える』という著書のなかで「大学の主体者は教員と職員だけでなく、学生も主体者と考えると、FDの考え方は大きく一変する」と述べ6)、大学紛争時の自主講座やそこで行われた双方向授業をFDの原型として位置づけるとともに、立命館大学や岡山大学、法政大学社会学部、大阪大学共通教育、追手門学院大学、京都文教大学、愛知教育大学の学生参画型FD(学生FD活動)を紹介している。しかしながら立命館大学の学生FDスタッフは、在籍する学生全体の代表性を持たない一種の公認ボランティア(サークル)活動であり、木野が実施してきた自主講座やその後の教養授業は学生同士の討論を盛り込んだアクティブ・ラーニングの手法に他ならない。また、他大学の事例も、法政大学社会学部の「学生授業アシスタント」などピア・サポート・プログラム(peersupportprogram)の事例が多く、学生参画型FD(学生FD活動)の厳格な定義がまったく見えてこない。筆者はこの著書の中で提案されている取り組みや活動を批判しているわけではない。それどころか2012年8月に出された中教審答申『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的―9―中部大学教育研究№13(2013)9-19「学生参画型FD(学生FD活動)」の概念整理について-「学生FDスタッフ」を正しく理解するために-沖裕貴

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