中部大学教育研究13
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ただし積極的な措置(positivemeasures)が全く見られなかったというわけではない。その第一は、大学に軍事色の刷新を求める声が強く沸き起こったことである。特に中央紙は社説その他でたびたび大学の刷新と指導的大学人の総入れ替えを訴え、各地の学園で抗議運動を起こした学生・生徒たちも、まず学園の旧指導層の入れ替えを要求した。全学連(全日本学生自治会総連合)という全国組織の結成は1948年で、この時期にはまだ出来ていなかった。従って学園紛争は素朴な形態のものばかりであったが、それだけに、学校・大学における自由の回復の要求は単純明快なものであった。この時期、占領軍当局も生徒・学生たちの動きをむしろ支援し、学校における言論の自由を奨め、教師・学校への批判を奨励した。大学に関して特に注目すべきは、この時期女性の大学教育を受ける権利に関して日本政府内部に大きな動きがあったことである。マッカーサーは、すでに人権確保の5大政策の第1項に女性の政治的解放を入れていたが、それに基づく働きかけが重光内閣を動かしたのであろう、1945年12月に「女子教育刷新要綱」を閣議は諒解し、そのなかに高等教育の女性への開放が盛り込まれていた。その他、全国紙は「大学の刷新」を幾度も社説に掲げ、大学内で発行されていた新聞も大学改革を唱える論説を取り上げた。この時期、「大学と軍国主義・超国家主義との癒着結合」という総力戦体制下の大学史的事態に対する告発と批判は、言論界や学園、学生・生徒たちを圧倒的に支配した。その中で、大学の門を女性たちに閉ざすという明治期以降のタブ-も破られていったのである。ただし、先にも触れたように、大学は研究と教育の二つを本質的な使命として持つ機関だ、という本質観はこの時期いささかも変わらなかった。正確には、むしろその両使命の再確認こそ大学批判とタブー破壊との最も深い基礎であった。その再確認から引き出されてきたのが、前述の「研究の自由」と「大学の自治」の理念(アカデミック・フリーダム理念)の回復である。昭和戦中期を超えてはるかに大正デモクラシー期までさかのぼることのできるその理念を取り戻すべきだ、というのがこの時期の大学論の基調であった。第一次アメリカ教育使節団の報告書と「研究の自由」「大学の自治」論1946年3月に来日したアメリカ教育使節団が著わしマッカーサーに提出した「米国教育使節団報告書」(以下報告書あるいは第一次・第二次報告書と記す)にも、この基調は一貫して貫かれていた。以下、アカデミック・フリーダムについて報告書の中の代表的な節を引用しておこう(当時普及した文部省訳による。各項末尾のカッコ内は所在小見出しの記述を示す)。「[大学は]智的自由の伝統をこの上もなく高価な宝として防護し、思想の自由を激励し、探求の方法を完成し、知識の向上をうながし、科学および学問を育成し、真理への愛着を育み、そして社会への絶えざる光明の源として役立つものである」(序論部分)。「自由に学び自由に発表する機会が、官公私立を問はずすべての優良な学校に回復されなくては、一般民衆の興味があらゆる文化からくる新しい思想や新しい方法に対して、正常に発展することができない。高等教育における日本の保守主義は破壊されうる。世界の幸福と日本の福利のために、さうされるべきものと考へる。連合国は日本国民に、政治的干渉を離れて彼ら自身の力で自らこれをなす[保守主義を破壊する]機会をただ与へうるにすぎない」(公私立学校)。「個々の教授の地位は、高等教育の改善の如何なる提案の中においても、最も重要な要素である。彼の影響力は、社会の二つのおくり物、即ち学問の自由と経済的保障に依存する」(個人の地位・教授団)。「大学及び高等学校専門学校の教授が官等から解放されることは、自治と志気への一大躍進を意味するであらう。それはまた他の国々における同様の団体との好ましい関係への基礎を作り出すことともなるであらう」(同前)。「学問の自由を維持する一つの確実な方法は、学問のことにおいては教授自身に権威を持たせることである。学問の自由はまた、教師や教授及び大学から成る全国の協会によって支持されてゐる。それらの協会はすべての人々の幸福のために学者や科学者の権利を用ひることが、社会に対する責務であるといふ精神に基づいてゐるのである」(同前)。「教育や研究の高い基準は、現職中の男女の教師によって立てられるものであって、法令によって定められるものではない。もしも高等教育の機関が自由に社会に奉仕する資格があるとするならば、それはまた同時に学問上他の監視を受ける必要はない。それ故学問の自由に経済的圧迫を加へるやうな問題が起こった場合には、常に警戒の要がある」(同前)。~は、報告書の中の第6章をなす「高等教育」のみから抜粋したものである。このほか、小中学校ほ―2―寺﨑昌男

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