中部大学教育研究12
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患児の状態を分かりあえる友人>とは、実習での困難を分かち合うことができると考えていた。学生間は、今までの積み重ねももちろんあるんですけど、病棟のメンバーとの結びつきが、強いかなって思ったんですけど。ケア度が高かったので、お互いにケアを一緒に手伝ったりすることで、患者さんを一緒に見てるっていうか分かっているのね、どういう子か。だから、「こういうことがあってさあ」っていうのがとても言いやすかったですね。(事例A)6)学生同士で共有しにくい状況一方で、1つの病棟における学生の人数は2~3名と少人数であるため、<学生が2名だけでカンファレンスにならない>と感じる学生もいた。また、自分より<大変そうな他学生への相談の躊躇>を認識していた。1人の意見しかもらえないから、あんまり自分的な知識それでいいのかなとか(自分の知識が正しいのかなという)、不安のほうがなんか、強かった。逆に質問するとこで不安のほうが強かった気がします。解決っていうよりか。(事例B)何か、(他の学生は)大変だしなってって思っちゃって、何か自分の方は、ある程度安定してる子だったので、なので、何かなあって、ちょっと大変だし、変に何かこっちの悩みとか言うのもなって思っちゃう部分があって。(事例D)内的要因7)障がい児の母親の気持ちを知りたいという思いと患児への寄り添いの気持ち学生は、障がいをもつ母親は大変そうであるという思いや、母子は親密な関係というイメージを実習前にもっていた。そして、実習が始まると<大変な状況でも子どもを可愛がる障がい児の母親>の存在を目の当たりにし、<障がい児の母親の気持ちを知りたい>と望んでいた。カルテのところに、その胃ろうの造設のことがあって、少し、指導者さんからも胃ろうの造設に関して、いろんな、何回か説明があった上で、胃ろう造設に至ったんだよって話を聞いてたので、ちょっと(お母さんに)聞いてみたくなったんですよ。私も。やっぱり、実際どうなのかなって。その、やる前は確かにすごく体重もすごく軽い子だったので、やっぱり口から物も食べれないしっていうふうで、すごいなんか、栄養がすごく大事っていう部分があったので、(母親が)「じゃあ、いいです(了承します)」って言った後に、実際それ(胃ろう)を見るっていうのがあるので、同意はしてても見るとどうなのかなっていうのはあったので。(事例D)また、実習前のイメージとは逆に、面会に来ない母親に対しては<自分の母子イメージと実際とのギャップによる葛藤と子どもへの同情>を感じていた。さらに学生は、母親の気持ちを考えることで、障がいをもつ患児に対する母親の自責の念を感じ取り、その上で患児に寄り添いたいという<母親の心情の理解と患児への寄り添いの気持ち>をもって実習に取り組んでいた。もう全然(お母さんが)来なくって、で、ある服しか着れなくって、もうそれはもうめっちゃ小っちゃくって、もうそれでもそういう、子どもがどんどん大きくなってきて、そのサイズに合った服を買わないっていうのもなんか。(中略)無責任だなあってちょっと思っちゃいました。(事例C)お母さんの立場になって考えたら、もしかしたら、その、自責の念みたいのもあるかもしれないし、心がついていかない状況なのかもしれないし、そのどんどん悪化してくっていうか、いろいろチューブとかつながっていく姿を見て、つらいかなとか(中略)子どもの気持ち、お母さんへの、甘えたいという気持ちはたぶんあるって思ってたので、子どもだから、だから、そこを、満たしてあげたいけど、自分ではお母さんの代わりはできないので、どうしたらうまく、満たせてあげるのかなあっていう部分は、どうしよう、どうしようって(考えた)。(事例A)8)自分を否定される怖さと回避学生は、<教員に怒られたり否定されたりするのが嫌>と感じており、それまでの実習ではそうならないように指導者と教員でケア方法が違った時には、その場でどちらかの指導に合わせていた。1日目は、その、指導者さんがメインで清拭をやって、で、次の日は私が計画を立てて、それを指導者さんに見せて、で、先生と一緒にやったんですけど、先生にそこで、「そのやり方は違うでしょう」って言われて。(中略)また指導者さんと次入ったときにはそのやり方でやったら、また言われて、何かそれをすごい嫌でした(笑)(中略)その時は、その人の。入った先生とかにもう合わせるしかない。言―14―清水いづみ・畑中めぐみ・大村政生・山田恵子・石井真・山田知子・石黒彩子

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