中部大学教育研究11
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私立大学教員および公立大学教員で官吏身分でない者の採用は文部大臣の認可を経なければならない。(非官僚教員の採用条件)以上の制度によらない学校は「大学」と称したりそれと紛らわしい名称を付けてはならない。(大学名称の規制)学位は博士とし、その授与は文部大臣の認可を経て大学が行う。(大学への学位授与権移譲)博士学位を授けられた者は、6ヶ月以内に論文を印刷公表しなければならない。(博士論文成果公表の原則)学位を得た者が「其ノ栄誉ヲ汚辱スル」行為を行ったときは、大学は文部大臣の認可を経て学位授与を取り消すことができる。(学位の取り消し)並べてみて分かるのは、極めて広範な新制度が出現したことである。出現の背後には、「大学とは何か」という課題に関する大きな変革があった。以下考えて見たいのは、個々の改革の内容や影響ではない。その背後にどのような大学観の変化かあったかということである。Ⅰ大学の基本的性格二つの舞台-教育調査会と臨時教育会議この時期の大学改革については既に多くの研究が公表されている。概説的に展望した最近の文献としては天野郁夫『大学の誕生』下巻(2009年、中公新書)があり、古くは国立教育研究所編刊『日本近代教育百年史』第5巻中の第6編第3章「高等教育」第1節、1974年、寺﨑昌男執筆)がある。1870年代から1940年代半ばまでを数えると、戦前の大学史はおよそ70年間におよぶ。しかしその中で大学のあり方が最も具体的に論議され、しかも大学教育制度史上具体的な広がりをもって影響を与えた「大学論の時代」は、まさに本号で扱う時期だった。併せて、大学論を単に言説のレベルに終わらせず、システムの改革にまで至らせたのも、この時期であった。この時期に問われたのは、「機関(インスティテューション)としての大学」の問題だけではない。コロラリー(副主題)として問われたのが、私学論と女子大学論、学位論であった。私学論は次号に回し、本号では女子大学論と学位論に触れる。この時期、大学論を最も熾烈に論議したのは、2次におよぶ政府関係審議機関であった。教育調査会(文部大臣諮問機関、1913年6月~1917年9月)と臨時教育会議(内閣総理大臣諮問機関、1917年9月~19年5月)という二つの舞台であった。教育調査会は規模こそ臨時教育会議におよばなかったが、大学問題について、特に制度問題を中心にかなり緻密な論議を交わした。だが遂に見るべき答申を出さずに終わった。その反省の上に、総理大臣諮問機関として発足した臨時教育会議こそ、明治期に政府が作り上げてきた高等教育全般を見直す最大のステージであった。第一次世界大戦をはさむ大正期に問われていたのは、もちろん教育問題や大学問題だけではなかった。国防、経済、外交政策など多端な国家課題が、さまざまな官省で審議されていて、その一つとして教育問題が浮上していた。もちろん、このころには既に民間のジャーナリズムは大きく拡大し、新聞、総合雑誌、専門雑誌等もそれぞれの言論世界を形作っていた。また、発行は少部数であったが、『大学及大学生』といった大学問題専門誌もあらわれている。それら多種のメディアは、大学問題に関する専門的意見を多数掲載し、上に述べた二つの審議会の大学意見も反映していた。だが今それらを詳細に分析する余裕はない。ここでは上記の二つの舞台、特に臨時教育会議の議論と答申に絞って、この時期の大学論を見よう。教育関係以外の読者のために、特に臨時教育会議について解説しておこう。それは、教育改革に関して日本に初めて設けられた総理大臣諮問機関である。初等・中等・高等学校教育をはじめ通俗教育(現在の社会教育)、学位制度にまでおよぶ広範な教育問題を審議し、諮問事項は全9号、答申は11回、他に建議2件におよんだ。総裁(平田東助、法学博士・子爵・貴族院議員)副総裁(久保田譲、男爵・貴族院議員)のほか委員延べ48名、他に幹事長・幹事・書記等を置いた。総会と主査委員会で゙運営されたが、主査委員会は案件についての答申原案を作成し、総会がそれを審議し、さらに主査委員会に戻す、といった手順で運営された。さらに必要ある場合は、主査委員会の中に小委員会が作られた。総会の議事録は国立教育研究所によって作成された『資料臨時教育会議』全5集(1979年)として復刻公刊された。ただし残念ながら記録が残っているのは総会だけであり、主査委員会・小委員会の記録は見つかっていない。この復刻版の第1集には日本教育史研究者・故佐藤秀夫による詳細な解説が付されている。特に委員の属性や委員会内の配置について卓抜な分析が行われ、現任官僚または官僚経歴者を過半数迎えはしたものの、帝国大学総長、私学関係者、学界権威者、議会議員、財界関係者、陸海軍代表者等が幅広く加えられていたことが明かになっている。答申の原案を作る主査委員会は重要な働きをしたが、大学論の主舞台となった諮問「大学教育及専門教育ニ関スル件」に関する主査委員およびその肩書き(兼職―2―寺﨑昌男

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