中部大学教育研究11
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論があったかについては、『沢柳政太郎全集』第8巻「国家と教育」に寄稿した寺﨑「総解説」参照)。他方、一人で孤独な奮闘を行ったのは、成瀬であった。冒頭に近い時点での長大な発言で、女子教育の重要さを詳細に論じた。それだけでなく、当日配布した小論文を、特に記録者に要求して総会議事記録に掲載させている。その中には「女子大学」という一節がある。高等女学校を5年で卒業した者を迎え5年間の修学年限を持つ女子大学をつくる必要性を、次のように論じた。「女子ノ賦性天職ニ鑑ミ我ガ国情ニ照ラシテ、女子大学ハ、家政学科(理科)宗教科(文科)及ビ医科ヲ中心トシテ他ノ学科ヲ聯絡配当シ、之レヲ女子綜合大学トシ、其ノ一分科ヲ設ケ、上ニ研究科ヲ有スルモノヲ、女子単科大学トスルノガ適当ノ制度デアル」日本女子大学校がモデルの一部になっているとはいえ、輪郭と構想のはっきりとした提言であった。この主張の前提となる説明において、彼は欧米の識者の女子高等教育論をおびただしく紹介した。それはたとえば嘉納治五郎委員からは「余リ西洋ノ人ガドウ云ウタ、ト云フヤウナコトハ恰モ御香触レニナッテ居ルヤウナ感ジガ致シマスルノデ或ハ成瀬サンノ全体ノ女子教育論ノ価値ヲ多少疑ハザルヲ得ザルヤウナ感ジガ致シマスル」と揶揄されるほどであった。もちろん彼の主張のうち優秀な女性に「視学」の地位を与えという主張は、主査委員会で顧みられたようで、先述のように希望事項の一つに加えられている。(注)嘉納の発言中の「御香触レ」の原意は不詳。女子大学問題についての臨時教育会議の審議結果は以上の通りであるが、この論点は日本女子大学校・津田英学塾・東京女子医大の創設から既に20年近く経っていた当時の社会的な論議水準からすれば大きな距離を持つものであった。加えて、先述のように女子教育論がもっぱら道徳教育論であったことからしても、大学における修身科設置に難色を示した臨時教育会議では、却って正面からの審議議題になりにくかったと見られるのである。議論の前提には、女子教育を考える基盤としての女性観の問題、男子の為の旧制高校の存在、といった大学論以前のファクターが根強く横たわり、それが大学制度論の展開を阻んだと見られる。科学技術の変化と大学論議会議の大学論は以上のように進んだが、この時期に大学論を促したもう一つのファクターがあったと見られる。それは1910年代における科学技術の高度化と国際化である。それを象徴的に示すのが、故・中野実によって発掘された新渡戸稲造以下の教育調査会あての意見書であった(中野実「新渡戸稲造他「大学制度改正私見」『東京大学史紀要』第7号、1989年3月)。この意見書は、教育調査会の審議がいずれ大学制度に及ぶであろうことを予想した時点で記され、実際には臨時教育会議が発足したのちに提出発表されたものである。1918年(大正7)2月の日付を持っている。何よりも注目すべきは筆者メンバーである。法学博士・農学博士の肩書きを持つ新渡戸稲造をはじめ、16名の博士たちが名を連ねていた。東京帝国大学在職者が大多数を占めるが一部京都帝国大学在職者も加わっていた。中野の調査によれば、新渡戸だけが50歳代であるが、他はすべて30歳代から40歳代で、平均は42歳であった。また法学部関係者は当時の同学部教授会の4割を占めていた。署名者の専門領域は、この法学のほか農学・工学・文学を加えて4領域にわたっていた。著名な名前を挙げれば、吉野作造・中田薫・上杉慎吉・牧野英一・美濃部達吉らの法学者、大河内正敏(物理学者・工学博士)姉崎正治(宗教学者)らであった。全文は国立教育研究所の復刻議事録第1巻巻末にも収められている。以下要点を示しておこう。結論は簡明である。①大学には官立大学のほか公立・私立大学を含める。そのミッションは専門学術の教授所として確定させ、全国に多数設け、国家の須要に応じる専門的・実務的教育に当たる。②併行して学術攻究の場として「学術研究所」を創設し、「文運の進歩発達」に貢献させる。③研究所には適当な「分科」を設け、講義・実験・演習等の方法を通じて研究者養成をはかる。どのような制度、方法を用いるかは各研究所に任せる。中野の調査では、この意見書は臨時教育会議の「大学教育及専門教育ニ関スル件」審議の際、総会・分科会委員全員に配布されたものと見られる。国内に唯一点保存されている文書は、委員平沼淑郎から早稲田大学図書館に寄贈されたものである。詳細な内容については、中野の紹介・解説と国立教育研究所の『資料臨時教育会議』第一巻の復刻文とを併せ参照されたい。注目すべき点は、下記の2点である。第1は、帝国大学のような組織規模ではとても「国家ノ須要ニ応」じる学術の授与と研究の遂行はできないことを明言していることである。またそれを各地に増設するような措置は何の効用もない、とも指摘している。「現在の帝国大学の如きものを増設するは社会が現に蒙りつつある高等教育の流弊をますます多大ならし―8―寺﨑昌男

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