中部大学教育研究11
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モノデアリマス」。これが上記①の「適当ト認ムル者」以下の、いわば研究科生精選原則と学習の境界廃止との理由だ、というのであった。換言すれば、学生は学習の主体であるという学生観、および学部は単に「教授」の場ではなく、研究能力の養成をミッションとするところだという学部観が主張されていた。こうして「大学院」は分科大学と併存して大学を構成するものだ、という旧帝国大学令の大学構造論は、全く転換された。上記の①②④⑤の基本にあったのも学生観の変革だったことは、詳述するまでもない。②においてその変革が端的に表されていること、③の科目選択制が日本女子大学創立者である成瀬仁蔵から特に詳細に主張されたこと、⑤の成績評価における「点数制」の廃止が、東京帝国大学においては特に成績評価の優・良・可表記方式の採用・成績序列の撤廃等に密接に連動したこと等は、筆者もこれまで詳論したことがあるので、ここにはくり返さない(寺﨑『東京大学の歴史』2007年、講談社学芸文庫)。ただし④の競争講座設置案がどこから生まれたかは明らかでない。恐らく東京帝国大学の法科大学教授たちのドイツ大学留学体験等から発想されたのではないかと思われる。東京帝国大学法学部では、吉野作造と上杉慎吉の憲法学講座の並立として、実現した。「法科偏重」への批判臨時教育会議のメンバーが最も熱心に論じた論題は、「法科偏重」の打破という課題であった。これは主査委員会の報告には尖鋭に表れたが、答申でははるかに穏やかになっている。そのため先行研究では余り重視されず、また何の制度的結果も生み出さなかったため、冒頭の改革結果記述にも掲げることができなかった。しかし論議の内容自体は、日本のエリートの教養の質に鋭く関わる重要な論題であった。発端は「希望意見」項目「第八」の次の一節であった。「第八、大学各分野ノ均等ナル発達ヲ期シ文官任用ノ如キモ従来ノ方針ヲ改メテ法科偏重ノ弊ヲ矯正セムコトヲ望ム」。主査委員会委員長小松原は、これまで大学の各分科大学間で「発達」の差が見られ、また高等学校からの志願者数において分科大学や理科大学への志願者が甚だ少ないという実情もある、それは卒業後の行政官就職可能性の高い分野が法科に偏っているからではないか、しかし今後それでよいかという問題が論議されたと報告した。彼はまた次のように敷衍した。「近世科学ノ進歩ト共ニ国家行政モ亦独リ法制経済等ヲ要スルノミデナクシテ行政ノ種類ニ依ッテハ各種科学ノ知識ヲ必要トスルモノガアルノデアリマス。故ニ是等行政ノ局ニ当ル元来ノ如キ(ママ。脱行?)或ハ行政ノ性質ニ依リマシテハ専門科学ノ知識ヲ有スル者ヲ採用スルコトガ必要デアルノデアリマス」。小松原は、さらに踏み込んで、各本省内の勅任文官採用(=局長への登用)に際しても法科出身の者だけが重用される傾向がある、と指摘し、内務省の衛生局・土木局、農商務省の山林局・鉱山局・水産局、逓信省の電気局等の例を挙げつつ、これらの部局の局長には必ずしも法科出身者が就く必要はない、「即チ或ハ分科理科医科工科農科等ノ出身者ヲ任用スレバ寧ロ適材ヲ適所ニ置クノ効ヲ得ラルルデアラウ」という意見が強かった、と述べた。これが「各分科大学均等ノ発達ヲ期スル」という案文の趣意だというのである。主査委員会の記録はないから、審議の全貌は分からない。しかし以上の報告からも相当に具体的で突っこんだ話し合いが行われたらしいことが分かる。私立大学を認める方針は決まっていた。そのかなりの部分が法科になるだろうという予測も立っていた。とすればこの論題は私学にとっても他人事ではあり得ない。総会の論議は長く続いた。賛成論としては、官僚が法学士でなければならないという理由はない、という原案賛成の意見があったが、反対論としては、高等文官試補試験等には現在も既に例外規定があるのでそれを活用すればよい、専門学術を必要とする部局でも技術と官僚としての知見は別ではないか、またどのような専門学を修める人物にも高等文官となる者には法律経済に関する基礎教養が不可欠だ、というような多様な意見が出された。特に実業界からの委員の意見の中には、大学卒業生のキャリア志望が行政官に集中するという認識自体が時代遅れであるという意見も強かった。実際このころは大学卒業生の財閥企業就職が始まっていたのである(尾崎盛光『日本就職史』文芸春秋社、1967年)。長時間の議論を尽くしても原案のままでは通らず、結局主査委員の一人である江木千之の修正案に落ち着いた。「大学各分科ノ均等ナル発達ヲ期スル為適当ナル人材ノ登庸ノ如キモ各科ヲ通シテ公平ナラシメムコトヲ望ム」。結局、「法科偏重」という言葉は答申からは消えて行った。Ⅱ学位制度の変革と女性と大学の問題冒頭列挙~で示したように、学位制度の変革は極めて大きなものであった。2回の総会を費やした審議をすべて紹介する余裕はない。筆者の既発表論文を参照していただきたい(前―6―寺﨑昌男

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