中部大学教育研究11
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再提出し、年度内に合格した。もちろん、指導教授の説得、激励、指導などにもかかわらず、卒業研究を全く行わなかった学生は不合格になった。学生にとっては、教育上、指導教授以外の教員が評価するということが大変効果的である。それは、最近の学生は、指導教授は最終的には甘い判定を行うものと楽観的に考える傾向があるからと思われる。教員としても、他の教員の目が入るということで気が抜けず自らの首を絞めるルールでもあり、あえて、このようにすることがレベルの低下を防ぐ手立てとなるのではなかろうか。最近、外部評価が重要視されるようになったが、指導教員のみの評価では、どうも甘くなり、レベルの低下を引き起こす可能性もある。他人の目に触れることが大切であり、今までの伝統的な、固定的な考えにとらわれることは停滞を招く原因となると思われる。なお、上述の簡易審査は、一昨年度までは、6名の選ばれた委員により、今年度は、形式的にあてがわれた副査全員によって行った。情報工学科では、卒業研究発表会を公式行事として行っていることは前述のとおりであるが、発表会のプログラムには、発表する研究内容に近い専門をもつ二人の教員を形式的に副査として載せ、発表会には、その教員が必ず質問をすることにしている(卒業研究は、授業科目と同じように、各指導教授が成績評価し、それを学科主任がまとめ、学科主任の名前で単位を出すことになっている。卒業研究については、大学院の場合のように副査による審査の制度はない)。また、発表会前日までに、アブストラクトを全教員にわたるようにしており、的確な質問をするための準備もできるようになっている。卒業研究発表会を充実した形で行うことは、学生に対する最大のサービスであると思っている。情報工学科では、発表会は2日間、2会場で行っている。原則的に、個人発表で、質疑を含めて一人10分間である。卒業研究の指導は、おそらく、日常の教育の仕事の半分以上を占めると感じられる。日頃の研究の指導、叱咤激励、中間発表会への準備と指導、12月頃からは、卒業研究論文の作成の指導、発表会の内容の指導、発表方法の指導など、大変に神経も使うし、疲れる仕事でもある。それだけの指導を受け、それに応えた卒研生は、卒業研究を終え、発表会を終えたときには達成感を感じていると思われる。個人的なことになるが、私の卒研室は少し離れたところにあり、一日に数回、研究室と卒研室を往復するが、運動不足の解消と思って頑張っている。卒研室には、夏休み前は、週4日間(就職活動の日を含めて)、9月以降は、週5日間来るように指導している。少し、厳しいと感ずるかも知れないが、学生との研究でのコンタクトの時間は沢山とっている。そのためばかりとはいえないが、私の研究室では、今まで、学期の途中で卒業研究を放棄した学生がいなかったことは大変幸運であったと思う。最近、理系でも、卒業研究を選択科目にする大学が出てきたと聞く。ある企業の社長は、「卒業研究のように、一つのことを継続的に、じっくり行うという体験が企業で役に立つ。」と言っている。別の企業の幹部から、卒業研究は、是非必修で続けて欲しいとの要望もある。卒業研究が大事であるという意識をもって、自主的に、熱心に行う学生もいるが、そうでない学生も多い。卒業研究の指導は容易ではない。必修だから仕方ないと思っている学生も目立つ。面白いテーマを呈示しても、理解しようとしないので興味をもってもらえない場合もある。手をかけるが、なかなか思いどおりに行かないことも多い。また他学部の友人から、卒業研究が実質的に機能しないので、選択にしたいという意見があるとも聞いている。その気持ちが分からないでもない。しかし、選択にすると、教員は楽になるかもしれないが、おそらく、学生の実力は格段に低下するのではないだろうか。卒業研究がおろそかになると、そのうち、専門科目の教育も質の低下を余儀なくされるように思われる。また、卒業研究論文作成の時期には、その指導に大変な時間と労力がかかるが、個人個人の学生にとって、論文作成における論理的思考能力、論理的構成能力などの向上を図ることができるはずである。1年次から、このような能力向上ができれば、その後、更なる能力を身につけることにつながると思うが、現実的には無理であるようである。論文作成能力は、就職後、企業の仕事で大いに役立つことと信じている。(教授工学部情報工学科)―118―吉田年雄

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