中部大学教育研究11
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卒業研究の現状はどうだろうか。卒研生が実験室(卒研室)に余り来ないといったことをよく耳にする。また、卒研生が10月以前にはほとんど来ない研究室が目立つ学科もあり、週2日間来ればよいと指導している場合もあるようである。大昔は、卒研生は、土曜日にも来て研究をしていたのが普通であったが、最近はどうしてこんなになってしまったのだろうか、卒業研究の質の低下は避けられないのだろうか。本学で歴史の浅い情報工学科では、幸い、多くの研究室では、ほとんどの卒研生が週4~5日間来て研究を行っているようである。年毎に行っている卒業研究は、一旦、停滞するとなかなか元には戻らない。情報工学科では少しでも低下を食い止めるため、多少の工夫を行っている。以下、私見も交えて述べることにする。筆者は、26年位に中部大学に赴任した。経営情報学部経営情報学科の誕生の1年後であった。そのころは、その学科では、2年次からゼミナールがあり、学生は、経営系と情報系のどちらかに属していた(しばらくして、2年次のゼミナールは廃止)。それは3年次のゼミナール、4年次の卒業研究とつながっていた。情報系のみ、卒業研究のための実験室(いわゆる卒研室、教員の研究室一室分)があてがわれた。初期のころは、情報系の卒研生はほとんど毎日実験室に顔を出していたが、年を重ねるにつれて、出席状況は悪くなっていった。工学部に情報工学科が新設され、そこに私が配置換えになるころには、経営情報学科では、卒研生全員が実験室にいるのは、一週間に一回の程度になってしまった。実験室のない経営系は、一週間に1回程、決められた講義室に集まって発表や討論を行うのが伝統であり、情報系の学生も、それに習うようになったのかも知れない。卒業研究が停滞しないようにするためには、何らかのルール作りや工夫が必要であると考えられる。2000年4月に、工業物理学科が発展的に解消し、情報工学科が新設された。その3年後、いよいよ卒業研究が始まった頃、恵那オリエンテーションでの夜の教員ミーティングで卒業研究のあり方や発表会についての話題が出た。そのとき、若手教員の多くから、卒業研究発表会は学科の行事として行って欲しいという要望が出た(工業物理学科では、卒業研究発表会は、学科の行事ではなく、各研究室が独自に適当な日時に公開して行っていた)。それを受けて、学科教室会議で、学科の行事として発表会を行うことを提案した結果、それが了承された。また、決められた期限までに、共通室に、卒業研究論文を提出することも了承された(経営情報学科では、伝統の違いからか、このようなことは了承されなかった)。私は、1990年4月から、経営情報学科の学科主任を6年間務めたが、その間に、自分の育った分野の伝統を押し付けるのではなく、文系と理系の集合体である経営情報学科にとって何がよいかという観点から意見、提案を出すことが肝要であることを体得した。それぞれの分野の伝統にはとらわれず、大局的によいと思われることは試行的にでも実行することが大切と思った。理系では、3年次のゼミナールがないのが伝統であり、経営情報学科のように、3年次にゼミナールを置き、それを卒業研究につなげていることは、卒業研究の前準備としての役割をもたせることができるという点で、理系の人間にとって魅力を感じた。情報工学科が新設されたときには、文系の良い点を取り入れて、3年次にはゼミナールを必修で置くことを提案した。その頃、新設された他大学の情報系の学部、学科でも3年次にゼミナールを必修で置き、4年次の卒業研究につなげているところが出てきており、提案が了承され、実現した。最近は、4月頃は就職活動が盛んな時期となっており、卒研生は就職活動のため欠席することが目立つ。卒業研究をスタートさせるためには、その準備が必要であるが、それは既にゼミナールで済んでおり、卒業研究がスムースに進行できる。学生が時間をかけて作成する卒業研究論文は、学生実験のレポートとは違い、論文として的確なものでなければならない。そこで、学生の論文提出締め切り後、一部の教員による論文の簡易審査(卒業研究論文として、最低限の形式を満足しているかどうか)を行い、ひどいものについては、指導教授の判定の前に、不合格にしてはどうかという思い切った提案をしたところ、意外にも反対者なしで実行に移されることになった。実際の簡易審査では、ほとんど教科書の丸写しとか、内容不足のために不合格になったものが数名いた。それらの学生全員が論文を設定された期限までに修正、―117―中部大学教育研究№11(2011)117-118《教育改革への提言》卒業研究について-情報工学科の取り組み-吉田年雄

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