中部大学教育研究11
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先立って審議されたが、その主査委員会答申原案の冒頭には「高等普通教育ニ於テハ教育ニ関スル勅語ノ趣旨ヲ充分ニ体得セシメ殊ニ国体ノ観念ヲ鞏固ニシ廉恥ヲ重ンシ節義ヲ尊フノ精神ヲ涵養シ剛健質実真ニ国家ノ中堅タル人物ヲ陶冶スルニ主力ヲ注クノ必要アリト認ム」と記されていた。さらに、付けられた理由書では「特ニ皇統連綿金甌無欠ノ歴史ヲ明カニシテ我国体ニ関スル観念ヲ鞏固ニスルノ最モ緊要ナルハ言ヲ俟タス」とまで述べていた。大学予科と高等学校に期待されたこの倫理教育は、大学教育の場合には全く期待されなかった。さて、先の主査委員会案については、総会でみるべき議論は行われなかった。鵜澤聡明委員が、人格教育といってもその目標は穏健な人物の育成ではなく「剛健雄大ノコトガ必要デアル」と述べ、大学教育の全体の在り方に注意を促す程度であった。このようにして、会議は、大学に独特の教科を設置して道徳教育を行うという方針をとらなかった。ただし臨時教育会議が国家と大学の関連に全く触れなかったわけではない。一つは、東京帝国大学卒業式への天皇行幸中止に絡む論題であり、他の一つは、学位授与主体を文部大臣から大学に移すという論題である。①天皇は明治期の1899年以来、東京帝国大学の卒業式に台臨していた。その際優等生への銀時計の下賜が行われたのも周知のことである。ところが1918年を最後に天皇(後の大正天皇)の行幸が中止され、同時に卒業式も廃止された。この件をめぐり、江木千之は大いに疑問を唱えた。冒頭列挙に関する議長平田東助の主査委員会提案説明に対する異議である。要約すれば「大学は国家および天皇との緊密な結びつきによって初めて学生に国家思想の涵養という使命を果たすことができる。にもかかわらず、卒業式が7月という炎暑の中で行われるからと言って、近来その挙を中止したというのはどういうことか。聞くところでは法科大学教授会は全員が行幸を希望しているという。大学と国家の関係に即しても、その意向は妥当である。大学は学問を通じて『国家トモ結ビ、皇室トモ連携スルト云フコトハ最モ重ンジナケレバナラヌ』」。この江木の主張は、相当に執拗なものであった。これに関して、帝国大学側代表と見られていた山川健次郎は、大学側の事情を種々説明したが、その山川も、天皇と大学が緊密な関係を持つべきことをいささかも否定しなかった。「帝室ト教育、学問ト云フコトノ連携ト云フコトハ国家成立上非常ニ重大ナコトデアルカラシテ是非御臨幸ハ年ニ少クトモ一回ダケハ願イタイモノデアル」。ただしそれは暑い夏ではなく、季候のいい時に願いたいというのであった。②学位授与に関しては次の通りである。冒頭列挙に記したように、博士学位の授与権を文部大臣から大学の手に移す、ということは当初から構想されていた。それに関して、「濫綬」の弊が大いに議論されたのだが、それとは別に、博士学位は「栄典」なのか「称号」なのかというテーマも大いに論じられた。学位の「栄典」的性格にこだわる委員の一部には、それが皇室からの授与であることを忘れてはならない、その制度を変えるべきでない、と論じる者もあった。その1人、貴族院議員・大蔵大臣経験者で法学博士だった阪谷芳郎は、わが国の名誉の源泉は帝室であり、学位はこの帝室から学位令という勅令によって授かるという仕組みになっている、この制度は「此ノ日本ノ国体ノ上ニ於テ其〔甚?〕当ヲ得タ制度ト私ハ考ヘルノデアルガ、ソレマデモ御壊シニナル必要ガナイト私ハ信ジマス」。このように、授与権の大学への移行だけでなく勅令たる学位令の改正そのものにも反対した。同じような反対論は、現制度維持論を唱えた久保田譲や、学位審査は大学がなすべきだが授与の可否は文部省の新設委員会が行うべきだ、と唱えた江木千之にも共通していた。すなわち、大学・学術の国家原理は、大学制度論の中ではなく、学位制度改正論議の中で最もはっきりと強調されたわけである。総合大学・単科大学論既に多くの臨時教育会議研究で論究されているように(例えば海後宗臣編『臨時教育会議の研究』1960年、東京大学出版会)、「単科大学でも大学と呼べるのか、それとも総合大学だけが大学であるのか」という問題が臨時教育会議の重要論題だったことはいうまでもない。ここでは詳述することをやめ、代表的な発言を抄録しておこう。<総合大学本体論>「全体大学制度ナルモノハ、今日欧羅巴大陸諸国ニ行ハレテ居ルノハ、独逸風ト普通申スヤウデアリマスルガ、併シ其事ハ畢竟伊太利カラ起ッタ。〔略〕独逸ガソレヲ改善シソレガ又伊太利ノ方ニモ参リ、其他大陸諸国ニ参ッテ改善サレタ。〔以下フランスの「ユニヴェルシティー化」の動向とイギリスの総合大学化、アメリカの「ウニヴェルジテート」(=ユニヴァーシティ)誕生を列挙〕(江木千之)。<総合大学メリット論>山川健次郎の発言(要旨)総合大学のメリットの第1は相互に異なる専門の学生が「相交渉」して刺激をうるところにある。第2のメリットは、教員相互が専門を越えて談話する機―4―寺﨑昌男

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