中部大学教育研究11
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の勅選貴族院議員を除く)は、次の通りであった。委員長小松原英太郎(枢密顧問官)委員一木喜徳郎(同)、江木千之(貴族院議員)、山川健次郎(東京帝国大学総長)、澤柳政太郎(帝国教育会会長、私立成城中学校・小学校各校長)、木場貞長(行政裁判所評定官部長)、鵜澤聰明(明治大学理事、同教授、衆議院議員)、嘉納治五郎(東京高等師範学校長)、市木乙彦(大蔵次官)、関直彦(衆議院議員)、三土忠造(衆議院議員)、柴田家門(貴族院議員)、真野文二(九州帝国大学総長)、鎌田栄吉(慶應義塾塾長)、平沼淑郎(早稲田大学維持員、同理事、早稲田大学代表者)。議長を務めた平田東助が選任したことになっている。だが偏った構成ではなく、相当に広範な背景を持つ人物たちであった。記述の中では氏名だけ記す。また以下の記述で「総会」「主査委員会」「答申案」と記すのは、以上の資料に即している。国家原理と大学教育の目的大学は「国家ノ須要」に応ずるために研究と教授を行う機関である、という原理は、この時期にも変化をこうむらなかった。第9号(本シリーズ)で述べたように、これは「国家原理」と称すべきものであり、それを初めて明文化したのは帝国大学令(1886)だった。井上毅は帝国大学令に大きな改正を加えたが、この文言を含む帝国大学令第一条には全く手を付けなかった。他方、これとは全く別に、明治期のアカデミズムが成立し、学術研究が行われてきたこと、ただし人文・社会科学分野では南北朝正閏問題をきっかけに「教育」と「学問」の離反・背反問題が起きたことは、第10号(本シリーズ)で述べた通りである。純粋な学術研究と国家原理とは、本来矛盾を含んでいた。特に人文社会科学の分野では、南北朝正閏問題のような皇室史の実証をめぐる作業を介して、学説の内容・論理構造と国家原理との間にこの矛盾が露呈した。やがて次の昭和期には、「天皇機関説問題」(1935)をきっかけにして、憲法学説を介して、政府と大学は否応なく矛盾に直面することになる。だが本篇の大正期は、まだその直前にあった。ただし、帝国大学令第1条の文言をどのように扱うかが問題にならなかったわけではない。臨時教育会議での論議は、次の二つの文脈から浮上した。第1は立法の文脈である。臨時教育会議は、前述のように、帝国大学だけでなく官立単科大学、公立大学、私立大学を初めて公認した。となるとそれらを含む大学全体をカバーする勅令(後の大学令)が必要となる。その中に「国家ノ須要」に当たる文言をどう入れたらよいか。第2は、教科目制度の文脈である。大学は修身科教育を行うべきか。同会議は、大学問題だけを議論していたわけではない。初等・中等・教員養成・専門教育等あらゆるレベルの教育問題を審議した。その中の大きな論題の一つは、「修身」科を通じての倫理教育、当時の言葉でいえば訓育の問題であった。当時、小学校、高等小学校、高等女学校、実業学校、師範学校には「修身」科が置かれていた。しかし中学校、専門学校、高等学校、大学予科には「倫理」科が置かれていて、修身科はなかった。そして大学は「倫理」「修身」の埒外にあった。これでよいのか、という問題は、大学教育に関する審議の中に出てきた。第1の問題に関しては、先述の通り、大学令および帝国大学令の双方から「国家ノ須要」という文言自体は消えなかった。そもそもこの文言の適不適を論じる発言も、総会の席上では全く聞かれなかった。大学はもともと国家が設置するものであり、それを前提として水準や性格が保たれているはずだ、というのは、委員たちのメタ認識であったと見られる。しかし代わりに新設されたのが、冒頭列挙の「兼ネテ」以下の文言である。その前提になったのは「大学及専門教育ニ関スル件」の主査委員会が答申案の「希望事項」の第1項目に記した「大学ニ於テハ人格陶冶及国家思想ノ涵養ニ一層意ヲ致サムコトヲ望ム」という案文であった。この趣旨について、主査委員会委員長・小松原英太郎は、大学に中学校以下の学校と同じ形で修身科を置いて修身教育を実施させようという趣意は「毛頭ナイ」と言い切った。大学にふさわしいかたちで方法施設を整えてほしい。外国大学では「荘厳ナル講堂ヲ備ヘ、又大学ニ依ッテハ完備セル寄宿舎ヲ備へ、学生ノ人格陶冶に尽シテ居ル」。そして、そもそも大学の生み出す学術は広く国民の思想に影響するものであるから大学の使命は重大であるが、その内容的改善は大学自身の努力に待つのが至当だ、と説明した。この説明には、前記第2の教科目制度の論点も含まれている。すなわち主査委員会は、大学に修身科を置くという方針を退けたのである。言いかえると、国家規範を言葉によって教え込むような制度を大学は取るべきでない、と判断したのであった。このように、臨時教育会議は大学の倫理教育の問題を、大学予科および高等学校のいわゆる高等普通教育機関の場合とはっきり区別した。高等普通教育機関に関する審議は、「大学教育及専門教育ニ関スル件」に―3―近代日本において大学の本質はどのように考えられてきたか

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