日本語日本文化学科パンフレット
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と書くようになりました。つまり時代の変遷とともに、音と表記の両面で変化が起きたということです。それではどのように変化したのか、見てみましょう。 ハ行の子音は以前ファ(Φ)行で発音されていたという説があります。さらに、もっと古く奈良時代以前にはパ(p)行音で発音されていたともいわれています。つまり、 パ ↓ ファ ↓ ハ (p ↓ Φ ↓ h)このように変化したと考えられています。たとえば、「母」は古い時代にはパパとかパファとか発音されていたということです。 また、この和歌が詠まれた九世紀(平安時代)ごろからハ行は語中や語尾ではワ行になったといわれています。これを「ハ行転呼」といいます。さらにその後ワ行の音韻変化が起こり、「ヰ・ヱ・ヲ」が「イ・エ・オ」に同化したと考えられています。たとえば、「恋」はコフィ↓コヰ↓コイ、「思い」は、オモフィ↓オモヰ↓オモイのように変化したと考えられています。紹介されています。 その歌風は、「いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは、女の歌なればなるべし」と評されています。解釈はいろいろありますが、女性的でやわらかく妖艶な歌風といったところでしょうか。 小町の出自については、詳しいことはわかっておらず、歴史的資料もほとんど残っていません。後世にいたるまで、また全国各地に様々な伝説を残した女性で、美人の代名詞にもなっています。 小町の和歌の中で代表的な作である当該歌は、思いを寄せる相手への恋心を詠っており、和歌が詠まれて千年以上たった現代の私たちにも通じる感覚のものです。 そのほか、「うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき」や「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞきる」というように、現実ではなかなか逢えない相手とせめて夢の中で逢いたいという思いが切々と伝わってくるような和歌が残されており、小町が夢の歌人といわれる所以でもあります。の美女であったこと、多くの求愛を拒んだこと、その美しさを失った晩年の哀れな姿、さらには神仙苑で和歌を詠み雨乞いに成功したという伝説。多くは彼女の美しさに由来しますが、最後の雨乞い伝説は彼女の和歌の巧みさに由来するものです。彼女の歌徳によって雨が降り、干ばつから人々が救われるのです。歌舞伎十八番の『毛抜』や平成二〇年に復活上演された歌舞伎『小町村芝居正月』などで取り上げられています。 それにしても、言葉を尽くして神に懇願するのではなく、わずか三十一文字の歌によってたちどころにして雨を降らせるとは、小野小町の歌徳恐るべし。その彼女に恋の和歌を贈られたりしたら、たちどころにして男性も恋に落ちてしまったことでしょうね。 注目すべきことは、いかに美しい小町でさえ和歌を詠まなければ雨を降らせることはできなかったであろうということです。和歌を詠むことや詠まれた秀歌は、それだけで特別な力を発揮すると信じられてきたのです。12

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