GLOCAL_Vol17
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2020 Vol.172020 Vol.175の面が強調されたのである。 と同時に、民族独立として捉えていたかつての特派員たちへの批判も見られるようになる。それが1973~1975年頃までのヴェトナム報道の風景である。第二次大戦との連続性 様々な点で第二次大戦とヴェトナム戦争とのつながりがある。かつて日本はインドシナを占領していたが、ヴェトナム戦争時には、日本語のできるヴェトナム人が日本人特派員の助手を務めたりするなど、彼らを大いに助けたのである。さらに、敗戦後も日本に帰国しなかった残留日本兵の存在もこれと対を成すものであり、日本人記者が残留日本兵の人脈で解放区への取材を成功させた例も見られた。 戦争観という点では、ヴェトナム戦争を報道によって知るオーディエンスがかつての戦争を想起したと先に述べたが、取材するジャーナリスト自身もそうであった。目の前で繰り広げられる戦争は、まさに幼少期に自らが体験した情景と否応なしに重なってくる。また後期のジャーナリストたちにおいては戦争体験よりもその後のGHQ占領体験とサイゴンの様子を重ね合わせる視点が見られた。そうした点においても戦争の重層性・連続性を見ることができるのである。参考文献松岡完「戦史は書き換えられたか――ベトナム症候群克服の試み」日本国際政治学会編『国際政治』第130号、2002年5月Daniel C. Hallin, The “Uncensored War”: The Media and Vietnam, University of California Press, 1989日本人として 各期の報道の特性を詳しく紹介する紙幅はないが、初期の一つのポイントとして、「日本人としての目でこの戦争を捉えよう」という意識を見出すことができる。岡村昭彦は『従軍記』の中で、「アジアからのニュースのほとんどは、日本人の手に寄らず、もっぱら外国の通信社に依存している現状だ」と述べ、大森も「インドシナの将来を、日本人ジャーナリストの目で、とことんまで見きわめようとした企画は少なかった」ことが取材の動機としてあったと語った。 つまり、こういうことである。「初期」の報道ということは、それ以前には日本のジャーナリストによるヴェトナム報道はほとんどなかった。戦争に関する情報はAP通信などの欧米のメディアからアメリカ側の情報ばかりが多く発信されてきたのである。では、日本人の目で見るとはどういうことか。自ずと、その反対側の意見や情報を伝えることに意識が向かっていく。実際に、岡村は西側ジャーナリストには取材が許されていなかった解放区に入り込み解放戦線の本拠地を取材したことでスクープをあげたし、大森も後に北ヴェトナム入国を西側ジャーナリストとしては早い時期に実現し、国際的に注目されたのであった。この「反対側からの目線」が初期報道の確立した主要な価値であったと言える。戦争と民衆 中期(1967~1968年頃)の報道では、「民衆」という存在が一つのキーワードとなる。朝日新聞社の特派員として南ヴェトナムを取材した本多勝一は著名だが、彼はルポ『戦場の村』(朝日新聞社、1968)で次のように述べる。「[これまでの戦争では]司令官や部隊長の言動、せいぜい兵隊の言動が、常に報道の主役であった。戦争の真の犠牲者たちの言動は黙殺されることが多すぎた」。戦争で犠牲となる民衆がとりわけ注目されるようになったのがこの時期である。『戦場の村』はもともと朝日新聞紙上で「戦争と民衆」というタイトルの連載ルポであった。また同時期に毎日新聞でも「民衆」という言葉を冠したヴェトナム・ルポが連載されている。 これは1968年を頂点とする世界的な民衆運動・学生運動の高まりとも決して無関係ではないだろう。ヴェトナミゼーション 1968年のテト攻勢で解放戦線・北ヴェトナム側の勢力が一斉蜂起し、米軍・南ヴェトナム側は大打撃を被った。それを機にジョンソン米大統領は次期大統領選への出馬を取りやめ、和平交渉が進展、1973年の米軍完全撤退へとつながるのである。当時はこれでいったん戦争は終わったとされた。だが実際の戦闘が収まったと考えた者は誰もいない。米軍は撤退し、自らの役割を南ヴェトナム政府軍へと託すことで、この戦争はヴェトナム人同士の戦いとなったのである。これは「ヴェトナム戦争のヴェトナム化(ヴェトナミゼーション)」と呼ばれた。 それまで、ヴェトナム戦争はイデオロギーをめぐる代理戦争の面と、民族独立戦争という2つの面があると考えられ、初期・中期の報道では後者にフォーカスされることが多かった。しかし、ヴェトナム人同士の戦いとなったのであるから、民族独立のための戦争という見方は実際の戦況と合わなくなってきた。この戦争は次第にイデオロギー戦争として捉えられるようになり、後期の報道ではそ図2. 解放区入り前日の岡村昭彦(筆写所蔵)

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