GLOCAL vol.15
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2019 Vol.152019 Vol.155録では明らかにならない一面である。概要をつかむことが重要である一方で、本稿で検討したような事例を積み重ねることも、都市社会と「外国人」との関係を考える上で不可欠である。また、金細工師ギルドの例は、「外国人」との共存を模索した、あるいは模索せざるを得なかった例の一つとして、注目されるべきだろう。加えて、16世紀以降のプロテスタント難民の流入以前から、ロンドンの商工業社会は「外国人」の影響を受けていたことも指摘できる。 今後は、このような対応をとった金細工師ギルドの状況の調査、議事録を利用しての規約の運用の調査、ほかの同職ギルドの状況との比較に加え、王権や都市当局の「外国人」対応との関連性の検討が必要になるだろう。課題が多くあるテーマだが、それだけ「外国人」という切り口から都市社会を考えることの可能性もあるといえるのではないか。引用文献パニコス・パナイー著、浜井祐三子・溝上宏美訳『近現代イギリス移民の歴史 寛容と排除に揺れた200年の歩み』(人文書院、2016年)Bolton, J. L., ed., The Alien Communities of London in the Fifteenth Century: The Subsidy Rolls of 1440 and 1483-4 (Stamford, 1998)Jefferson, Lisa, ed., Wardens’Accounts and Court Minute Books of the Goldsmiths’ Mistery of London 1334-1446 (Woodbridge, 2003)Reddaway, T. F. and Lorna E. M. Walker, The Early History of the Goldsmiths’Company 1327-1509 (London, 1975)Thrupp, Sylvia L., “Aliens in and around London in the Fifteenth Century”, in Studies in London History Presented to Philip Edmund Jones, ed. by A. E. J. Hollaender and William Kellaway (London, 1969), pp. 251-272England’s Immigrants 1330-1550: Resident Aliens in the Late Middle Ages https://www.englandsimmigrants.com/(最終閲覧日:2019年7月22日)た点である。たとえば、先行研究によれば、1477年から1478年の史料には179名の金細工師が確認され、うち41名が「外国人」とのことである。とくに多いのは、史料上でDutch、Doche、Teutonicと記される、ドイツ・フランドル地方の出身者である。 中世後期の金細工師ギルドに関する史料としては、規約集と議事録及び会計簿が現存している。規約集は1478年にまとめられたもので、レッダウェイとウォーカーの著書の巻末に収録されている。議事録・会計簿は1334年以降のものが現存しており、1334年から1446年についてはジェファソンによって刊行されている。本稿では規約集を用いて、金細工師ギルドの「外国人」への対応を考えたい。 規約集には94の規約が収録されており、このうち7規約が「外国人」に関係するものである。この規約集に収録されている規約すべてが1478年の時点で有効だったのかなど、規約集の利用については検討が必要であるが、本稿では、それぞれの規約が制定された年代にどのような対応がとられていたかという視点で読んでいく。収録された規約のほか、1434年に制定され、議事録に収録された“Ordinance of Dutchmen”と題される規約も参照する。 これらの規約を見ると、まず、「ロンドンの金細工師」として活動する「外国人」金細工師がいたことが明らかになる。そのような、独立して、つまり親方として活動する「外国人」金細工師がいた一方で、イングランド人あるいは「外国人」の金細工師に雇用されている「外国人」金細工師もいた。1271年、1394年の規約で「外国人」金細工師の雇用には監事の許可が必要であるとされている。1394年の規約はまた、親方が「外国人」の登録料を支払うことを定めてもいる。さらに、「外国人」金細工師が増加したとされる15世紀には、1434年、1448年に「外国人」の活動禁止、「外国人」との取引禁止が定められている。しかしながら、1434年には議事録に氏名が記されれば「外国人」も活動が可能であるとされ、また1448年には親方が自分の家で働かせるなら雇用してもよいとされている。「外国人」金細工師を一律に排除しようとしているのではないことが読み取れる。 また、1469年には、「外国人」への対応がロンドンへの居住期間によって区別されている。ロンドンに5年以上居住している「外国人」は、これまで通り仕事場での活動が可能とされる。居住期間が5年未満の場合は、1年以内に20シリングを監事に納入することとされた。20シリングというのは、金細工師ギルドの徒弟の登録料と同額である。さらに、この規約がその半分を割いているのは、今後イングランドにやってくる金細工師についての取り決めである。それによると、5年間は親方の下で職人として働くこと、親方はその「外国人」を監事に提示すること、5年後に独立して仕事場や店での活動を希望する場合は監事の面前で能力と技術を証明し、さらに2年間の善き行いが証明されるべきこととされている。合計7年間、親方などのもとでの活動が求められているが、これは金細工師ギルドの徒弟に求められる訓練期間と同じである。金細工師ギルドは「外国人」に対して、ギルドの管理下で十分な技術力を身につけることを求めたと考えられる。 このように、金細工師ギルドは「外国人」を一括して排除する姿勢はとらず、どのように管理するかを重視していた。また、「外国人」に対して、居住期間を考慮するなど個々の状況に対応していたともいえる。この背景にあるのは、品質の低下への危惧だろう。10代から徒弟として訓練された金細工師と異なり、イングランド外からやってくる「外国人」はその技術力が不明である。彼らについて、改めてロンドンの金細工師の下で訓練することで、独立しての活動が認められるだけの技術力を身につけることを促したのではないか。 しかし、さまざまな規約を制定してまで「外国人」を排除せずに管理下に置こうとしたのはなぜか、という疑問は残る。その理由がいわゆる労働者不足の解消なのか、流入を止めることのできない「外国人」への苦肉の策なのか、あるいは別の背景があったのかについては、今後の検討が必要である。おわりに 金細工師ギルドの規約から明らかになるのは、滞在歴も能力も活動状況も様々な、多様な「外国人」の存在である。これは、課税記

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