GLOCAL vol.15
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14モンゴル帝国建設に至るまでのチンギス・ハン(テムジン)2019年7月8日 大学院国際人間学研究科講演会 そのため、チンギス・ハンの伝記を明らかにするためには、漢文とペルシア語で書かれた三史料の記載内容を基軸にし、『元朝秘史』はあくまでも参考程度で扱わなければならない。 しかし、その一方で、三史料よりも『元朝秘史』の方が史実を伝えていると考えられる場合もある。例えば、テムジンとジャムハとの間の所謂「十三翼の戦い」である。三史料では、勝者テムジンが、敗者ジャムハ側のチノス氏族を虐殺、それに恐怖を抱いた諸集団がテムジンのもとに帰順した、とされる。一方、『元朝秘史』では、勝者ジャムハが、敗者テムジン側のチノス氏族を虐殺、ジャムハの残虐さを嫌った諸集団が続々とテムジンのもとに来帰した、とされる。これは、敗者たるテムジンの勢力が拡大したことを説明できなかった、三史料の原史料の編者が、これを「合理的」に解釈しようと試み、勝者をテムジンに改め、後に大殺戮者チンギス・ハンとなる彼の事績を過去に遡及して投影した、と考えるべきであろう。 このように、史料の比較・検討は、一筋縄にはいかないものである。 近年、チンギス・ハンとモンゴル帝国の歴史は、考古学研究の飛躍的な進展によって、新たな事実が次々と知られるようになった。しかし、古めかしい研究方法のように思われるかも知れないが、文献史料の比較・検討も依然として重要であるという事実が、以上の具体例からも十分に理解することができるであろう。 世界史に大きな影響を与えたモンゴル帝国の建設者チンギス・ハン(本名テムジン)の生涯、特に前半生は、井上靖の『蒼き狼』をはじめ、しばしば小説・劇画・映画等の題材に取り上げられ、日本人にも比較的、馴染みが深いものと思われる。しかし、それら文芸的創作に描かれたものと史実との間には、大きな相違がある。 その原因は、チンギス・ハンの事績を伝える四種の基本史料の中にある。それらの史料とは、モンゴル語の『元朝秘史(モンゴル秘史)』、漢文の『元史』「太祖本紀」と『聖武親征録』、ペルシア語のラシードッディーン編『集史』第一巻「モンゴル史」の「チンギス・ハン紀」である。 これらのうち、モンゴル研究者たちがチンギス・ハンの伝記を書く際に最も多く使用したのは『元朝秘史』である。そのため、チンギス・ハンに関する文芸的創作は、ほぼ例外なく『元朝秘史』の影響を受けている。いわく、テムジンの父イェスゲイは、タタル部族によって毒害された。いわく、父の死後、隷属していた民がテムジン一家のもとから一人残らず離れ去り、一家は貧窮のどん底に突き落とされた。いわく、メルキト部族に略奪された妻ボルテを取り戻すため、幼馴染の義兄弟ジャムハと、亡き父イェスゲイの義兄弟であったケレイト部族長オン・ハン(トオリル)の援軍を得て、メルキト部族を夜討ちし、月明かりの乱戦の中、テムジンは妻と再会することができた。等々。しかし、おそらく、これらはすべて史実ではない。 また、『元朝秘史』によると、テムジンが同族タイチュート氏族のタルグタイ・キリルトクに捕えられたのは青少年期であるとされるが、これも、実際には、テムジンが壮年の頃の出来事であったと考えられる。 『元朝秘史』は、年代記である他の三史料とは異なり、歴史を題材とした口誦文学的な要素が強い。また、ある特定の集団との間に起きた複数の出来事を一つにまとめ、それらを大体、年代順に並べるという叙述法を取る。 例えば、失脚したケレイト部族長オン・ハンを迎え入れて擁立し、金朝の支援下にモンゴル高原東部で勢力を拡大しつつあったテムジンと、モンゴル高原全域の反テムジン大連合との間に行われたコイテンの戦いでは、反テムジン連合側が仕掛けたジャダ術(牛馬の結石を用いて起こした暴風雪雨で敵を襲う魔術)が、逆に彼らを襲い、テムジンは戦うことなく勝利を収めた(この戦いの結果、天に支持されたと衆人より見做されたテムジンに、カリスマ性が備わった)。ところが、それにもかかわらず、『元朝秘史』では、この戦いは、同時にテムジンが毒矢に当たり重傷を負った苦戦でもあったとされ、矛盾している。これは、『元朝秘史』が、テムジン(およびオン・ハン)と反テムジン連合との間に行われた複数の戦いを、コイテンの戦い一つに集約して叙述したためである。 このように、歴史性の点で、いささか問題がある『元朝秘史』に対し、漢文・ペルシア語三史料の中核部は、同一のモンゴル語史料(現在は散佚)に基づいたと考えられ、年代記的な側面が強く、歴史性の点で、より価値が高い。内モンゴル大学モンゴル歴史学系 特聘研究員(教授)赤坂恒明(AKASAKA Tsuneaki)1968年、千葉県野田市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。専門分野は内陸ユーラシア史。モンゴル帝国の西北部を構成した所謂「キプチャク汗ハン国(金帳汗国)」の歴史を、ペルシア語、アラビア語、チャガタイ=テュルク語、中世ロシア語等の諸史料を用いて研究、『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房、 2005年)を刊行。また、前近代の日本の皇族や公家に関する学術論文も発表。

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