GLOCAL vol.14
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2国際人間学研究科 言語文化専攻教授柳 朋宏(YANAGI Tomohiro)名古屋大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了。博士(文学)。専門は英語史的統語論。英語名詞句の分布と内部構造に関心がある。主な論文・著書に、“Intermittence of Short-distance Cliticization in QPs: A Case Study of Language Change from the North” (Kaitakusha)、Outposts of Historical Corpus Linguistics (VARIENG, joint work)、 『文法変化と言語理論』(開拓社,共著)などがある。言語接触と言語変化: 現代の英語に残る他言語の面影帰国後、国産ウィスキーの製造販売を行った。そのため、日本のウィスキーはwhisky と綴られる。一方、アメリカにはアイルランド人により蒸留技術が持ち込まれたため、アメリカのウィスキーは whiskey と綴られている。 さて、イングランドを侵略したアングロ・サクソン人だが、8世紀から10世紀にかけて、デーン人(ヴァイキング)の侵攻に悩まされることになる。イングランドが征服されることはなかったが、ヴァイキングはイングランド北東部に居住することになる。デーン人との接触により、英語にはデーン人の言語である古ノルド語から語彙が借用された。 ケルト語からの借用語と同様、地名に古ノルド語の面影をみることができる。イングランド北東部の Derby, Whitby の -by は「農場」「町」という意味の古ノルド語である。この語は「村の法律」を意味する bylaw という語にも残っている。また、イングランド北部の町ヨークには、MicklegateやFishergate のように -gate で終わる通りの名前がある。この -gate も古ノルド語からの借用語で「通り」を意味する。この語は、イングランドから遠くはなれたフィンランドにも持ち込まれた。そこでは、-katu として、Kirkkokatu や Kaivokatu のような通りの名前で用いられている。 そのほか、fellow, knife, take, husband, egg, skinなどが古ノルド語からの借用語である。英語と古ノルド語はどちらもゲルマン語派に属しているため、類似の語も多い。本来語の shirt「シャツ」に対する古ノルド語の skirt「スカート」、shrub「低木」に対すはじめに ヨーロッパ大陸の北西に位置するブリテン島から世界に広まり、世界共通語の地位を確立しつつある「英語」の歴史は、他言語との接触の歴史と捉えることができる。小論では、どのような経緯により他言語から語彙が借入され、英語の語彙が発達したのかを概観する。言語接触と英語の語彙 中島 (1979: 49) によれば、英語語彙の約50%はラテン語・フランス語からの借用語であるのに対し、本来語は約25%、ギリシャ系の語が約10%、北欧系の語が約5%、その他の言語からの借用語は約10%だといわれている。一方、日常使用される語彙1000語に限れば、本来語は約55%となり、フランス語・ラテン語からの借用語は35%となる。 ラテン語は、ローマ帝国の公用語であり、中世ヨーロッパにおける政治・学問・教会の言語であった。英語には、アングロ・サクソン人がヨーロッパ大陸にいた頃から、語彙が借用されている。主な借用語には street, wall, wine, butter, cheese がある。またアングロ・サクソン人がブリテン島に渡ってからも、先住民であったケルト人を通して、あるいはキリスト教を通して、ラテン語から語彙が借用された。そのような借用語に chest, pail, cup, pot, monk, nun, altar, disciple, school, abbotなどがある。 アングロ・サクソン人がブリテン島に侵攻した際、ブリテン島にはケルト人が暮らしていた。彼らの言語であるケルト語からの借用語はあまりないといわれているが、その多くは地名や河川名に残っている。ロンドンを流れるテムズ川のThames「暗い川」やシェイクスピアの故郷を流れるエイヴォン川のAvon「川」などがケルト語からの借用語である。このような固有名詞のほか、crag「絶壁」、tor「岩山」、bard「吟遊詩人」などがある。The Bard of Avon「エイヴォンの詩人」はシェイクスピアのことである。また、ラテン語の aqua vitae「命の水」はケルト語で uisge beathaとなり、英語の whisky/whiskey に発達する。whisky はスコットランドで、whiskey はアイルランドで用いられている。 2014年、NHKで放映された連続テレビ小説『マッサン』のモデルとなったニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏は、スコットランドのグラスゴー大学で学び、スコットランド西部の港町キャンベルタウンの蒸溜所で実習を行った。その経験を生かし、White Hart Hotel竹鶴政孝氏がキャンベルタウンでの実習期間中に、妻リタ氏と宿泊していたホテル。ホテル名に、後述する hart 「雄鹿」が用いられている。(筆者撮影)

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