GLOCAL vol.14
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2019 Vol.142019 Vol.142019 Vol.142019 Vol.149 2019年1月24日(木)に、人文学部歴史地理学科・国際人間学研究科・国際人間学研究所主催によるシンポジウム、「関中平原開発史考:考古学と歴史学からみる『人と水資源』」が開催された。外部からの報告者として、中国考古学をご専門とする南山大学の西江清高教授、東アジアの環境史をご専門とする淑徳大学の村松弘一教授をお招きした。 まず、本研究科の渡部展也准教授により中国大陸の地理及び初期王朝期までの様相について報告があった後、上記2名の報告者から西周および秦が如何にして関中平原に展開し経営を行ったかについて、それぞれの興味深い研究成果が報告された。後半では、コメンテーターを務めた本研究科の一谷和郎准教授からの質問・コメントを中心に、考古学、歴史学、地理学にまたがる多角的な視点から「関中開発」が活発に議論された。シンポジウム「関中平原開発史考」を開催考古学と歴史学からみる「人と水資源」【お問い合わせ先】歴史地理学科渡部研究室nov@isc.chubu.ac.jp12:40開場13:00~13:05開会の辞13:05~13:10趣旨説明13:15~13:45渡部展也(中部大学)新石器時代の生業と関中平原の自然地理13:50~14:50西江清高(南山大学)西周王朝の形成とその文化地理的基礎14:50~15:05休憩15:05~16:05村松弘一(淑徳大学) 秦都の変遷と関中平原の開発~西垂から咸陽へ16:10~16:45コメント・発表者討議コメンテーター:一谷和郎(中部大学)16:45~16:55質疑応答16:55~17:00閉会の辞中国大陸、華北に位置する関中平原は、古代以来多くの王朝が拠点としてきた中国史の表舞台のひとつである。前三千年紀の後半、新石器時代の晩期に各地で隆盛した諸文化が力を失うなかで、これらの諸要素を取り込むように二里頭文化(「夏」)が隆盛する。これに続く殷も関中平原の東隣、いわゆるその後の中原地域に拠点をおいたが、その後の西周王朝や秦漢帝国は関中平原を拠点としながら経営を行っていく。周辺地域への結節点としての地政学的な利点もさることながら、広大な黄土の盆地地形という特徴的な地理環境もまた、これらの地域に舞台装置としての面白さを加味している。環境決定論的な見方は否定されて久しいが、それでもなお巨視的にも微視的にも環境の影響力は決して小さなものではないはずである。むしろ大きな影響力への対応こそが集団としての人間活動の必然を高めた側面を認める事さえできるかもしれない。演目のために舞台が作られるのか、舞台によって演目が彩られるのか、本シンポジウムでは特に文明にとっての根幹となる水資源に注目し、新石器時代、西周王朝から秦漢帝国に至るまでの関中平原の開発史について考えてみたい。主催:中部大学人文学部歴史地理学科・大学院国際人間学研究科・国際人間学研究所開催日時:2019年1月24日(木)13:00~17:00開催場所:中部大学不言実行館2Fスチューデント・コモンズ対象者:学部生・大学院生・聴講生・教職員など/入場自由関中平原開発史考

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