GLOCAL vol.12
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6日中戦争=国家再建と中国共産主義運動ることもあった。供給制下に置かれた膨大な正規兵への給養が、恒常的な軍費の圧力となって政権の存立を脅かしていた。したがって、根拠地政権は兵に対し最低限度の食糧供給を行うことで、どうにか軍を維持していた。兵と党・政機関幹部を維持するためのその供給制は、予算編成の前提であった。食料の例を挙げると、兵には1人1日アワ1斤半(約646.9g)、幹部には1斤4両が支給され、副食として兵には1人1日油・塩・肉類が各3銭(9.375g)、野菜が1斤与えられた。その他、衣服・靴・靴下・布団・燃料などが供給品であり、少額の生活手当が共産党の独自発行による冀南幣で支払われた。ところで、供給制から計算した共産党軍兵士の1日のエネルギー摂取量は2400kcal前後である。活動強度の高い軍隊という特定の集団で一定の栄養状態を維持するための所要量には届いていなかったと言うべき値である。因みに日本陸軍を見てみると、盧溝橋事件の直前に中国駐留部隊に対して制定された「在支陸軍部隊臨時給与令細則」では、主食だけで1人1日精米600gと精麦186g日中戦争と革命の関係1961年1月24日、黒田寿男・日本社会党議員と会見した毛沢東は、5年前に行われた南郷三郎・日中輸出入協会理事長との会談を振り返り、次のように述べた。皇軍が中国の大半を占領したので、中国人は絶体絶命で行き詰って初めて目覚め、武器をとり、戦い、たくさんの根拠地を築いて、解放戦争に勝利するための条件を創り出したのです。だから日本の軍閥と独占資本は私たちに良いことをしました。私たちはむしろ日本軍閥に感謝したいところです。この発言から、毛沢東は日中戦争を中国における国家再建の起源と捉えていたことが分かる。もちろん日本の侵略に対するナショナリズムの反発だけが、中国で共産主義革命を成功に導く秘訣だったわけではない。革命の成就のために有効であった方法には、その他にも農村工作重点主義や様々な社会改革の推進、ある程度の武装兵力の充実があった。戦争の中で進められていたこれらの実践が、国家を再建し、中国の独立と主権を取り戻すための運動に結びついていたのである。中国共産主義運動の財政基盤毛沢東が指摘したように、日中戦争は国家再建とともに共産主義運動の両面をなすものであった。つまり中国共産党が1930~40年代に取り組んだ問題は、勝つか負けるか生きるか死ぬかの問題と同義であった。したがって、まず政治権力の存立を図ること、これこそが共産党にとって止むことのない日常的課題であったはずである。共産党地域政権の財政基盤の問題は、政権存立のための基本的問題でありながら、これまで十分に解明されてこなかった。それでは、戦時下の共産党はいかにして物理的リソースを調達し、どのような戦略・戦術の下でそれらをうまく手段化していたのであろうか。筆者がかつて検討したところでは、以下のとおりである。日中戦争初期、華北の共産党地域政権が直面した喫緊の課題は、八路軍をはじめとして膨張し続ける軍隊に対する給養をどのように保障するかであった。政権機構の整備が不十分な初期の抗日根拠地では、財政の制度化が確立されていなかったため、共産党は現地調達に頼って食糧や資金などのリソースを確保しなければならなかった。根拠地の中で最大規模の晋冀魯豫辺区(山西・河北・山東・河南省)において地域政権の収支を統一する財政体制が整えられたのは、日中戦争中期の1940年のことである。辺区政府(共産党地域政権)の財政基盤は、農業税と商工税による収入に依ったが、政権の経費と部隊の費用は主として前者に求められた。しかし、戦費支払いの巨大な需要を満たすには根拠地の供給能力は低すぎた。共産党は軍費支出を総支出の3分の2とする原則を定めたが、前線に位置する太岳区政府(山西省)では軍費だけで8割を超え国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻准教授一谷和郎(ICHITANI Kazuo)2001年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程単位取得満期退学。1998~99年、中国・南開大学留学。中国近現代史、政治史専攻。中華民国史、中国革命史を主たる研究対象とする他、日中関係史に関心がある。著書に、『近代中国の地域像』(山川出版社、共著)、『救国、動員、秩序─変革期中国の政治と社会』(慶應義塾大学出版会、共著)、『岐路に立つ日中関係』(晃洋書房、共著)などがある。写真:延安時代の毛沢東旧居(筆者撮影)

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